がごぜ」は鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれる妖怪であり、
説話は『日本霊異記』『本朝文粋』『扶桑略記』『水鏡』などに残る。

それによれば敏達天皇の時代、ある農民の目の前に落雷があった。
見るとそこに小さな雷神の姿がある。

雷神は自分の願いをきいてくれるなら子供を授けようといい、
農民は雷神の言うとおりに楠で船を作り、
中に竹の葉を浮かべるーーまもなく雷神は天に帰っていった。

さて農民の家にはやがて子供が誕生し、
成長するにしたがい大力を発揮するようになった。

雷神の力でさずかったこの子はやがて元興寺の童子となって、
寺の鐘楼に巣くう人食い鬼を退治することになるのである。

大力の童子と鐘楼の鬼はたたかいのすえ、
化け物は引きちぎられた髪と髪のついた頭の皮を残して逃げ去ったーーが、
その血の跡は点々と続いており、それを追ってゆくと
寺で悪事を働いた者を葬る場所で消えていた、という。

元興寺と文字で記すこの鬼、がごぜ、がごじ、と読む。
うわんやモモンガアなどの、わあっと驚かす妖怪を総称する児童語が
もとになっているともいわれている。

また柳田国男によれば、ガゴゼ=元興寺ではなく、
化け物が「咬もうぞ」といいながら出現することが語源ではないかという説もある。

さて、この逃げ去った血の跡が、
不審ヶ辻子町としていまなお閑静な奈良町の小路に名前を残しているのである。

はるか昔の都の深い闇の中、激しい戦いのすえ逃げ去った
妖怪の足取りを思っての散策もまたおつなものである。