日本人の多くが知っている歴史上の人物である源義経。
義経は鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟でもあります。
兄頼朝のために平家滅亡を目指し共に戦い、
その戦いぶりは飛ぶ鳥を落とす勢いで、鵯越が有名です。
義経の活躍もあり、平家との戦いに勝利した源頼朝でしたが、
義経の行動が日に日にエスカレートしていき、朝敵とされました。
その後、義経は岩手県の平泉で頼朝の兵によって殺されました。
しかし、平泉で殺されたのは義経の影武者で
義経はそのまま北海道からモンゴルに行きつき、
チンギスハンとなったと言われています。
この説を話したのはあの有名なシーボルトです。
義経には杉妻太郎という影武者がおり、
彼はとても義経に似ていたといわれています。
平泉で生き永らえた義経は蝦夷地、
現在の北海道まで逃げ伸びます。
当時の蝦夷は船を使って大陸と交流を持っていたと言われています。
ですので、義経が蝦夷から大陸に渡り、
モンゴルまで行くのは不可能ではなかったのです。
なぜチンギスハンが義経ではないのかと言われているのかと、
チンギスハンが使用していた弓矢は
その当時のモンゴルでは珍しく、
日本で使用されていたものに似ている。
モンゴルで義経の家紋と似た紋様のものが見つかっている。
こういった点で義経がチンギスハンだったのではと言われています。
戦の天才だった義経が日本から海を渡り、
モンゴルでチンギスハンとなりモンゴル帝国を築いた。
義経の実力ならあり得そうな話であることも
この歴史ミステリーが今でも語り継がれる理由なのかもしれません。
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