未解決事件と最後の写真の秘密:ダム脇の小屋と消えぬ疑惑

霧積温泉殺人事件:1972年の悲劇と未解決の真相

1972年8月16日、群馬県碓氷郡松井田町(現・安中市)の霧積ダム建設現場近くの作業小屋で、24歳の女性Kさんの遺体が発見された。この事件は、霧積温泉殺人事件として知られ、凄惨な殺害状況と未解決のまま迷宮入りした経緯から、群馬県の重大な未解決事件の一つとなっている。被害者は伊勢崎市在住のガソリンスタンド店員で、旅行好きの一人旅の最中に悲劇に見舞われた。事件は、霧積温泉の秘境性を背景に、地元で強い衝撃を与えた。

霧積温泉は、鎌倉時代に発見され、江戸時代には碓氷関所の要衝として知られた温泉地だ。明治43年の山津波で壊滅的な被害を受けたが、一軒宿「金湯館」が生き残り、秘境の名湯として愛されてきた。1972年当時、霧積ダム建設が進行中で、普段は約100人の作業員がいたが、盆休みで現場は閑散としていた。この静けさが、事件の不気味さを増幅した。

事件の経緯:被害者の足取り

Kさんは1972年8月12日、霧積温泉の金湯館に一人で宿泊した。本来は母親と弟との旅行を予定していたが、2人の都合がつかず単独での旅となった。13日朝、Kさんは朝食後、金湯館の女将から「徒歩での下山は3時間以上かかり危険」とマイクロバスを勧められたが、これを断り、午前10時に旅館を出発。ハイヒールからスニーカーに履き替えた彼女は、霧積川沿いの道を下山し始めた。

その後、午後2時頃、旅館から約5キロ下った地点で、Kさんが安中市の親子連れに目撃された。彼らは車に乗るよう声をかけたが、Kさんはこれも断り、歩き続けた。この時点で、Kさんの行動には不可解な点が浮かぶ。過去に2度霧積温泉を訪れていたにもかかわらず、連絡所で「初めての客のよう」に振る舞い、予約の事実を隠していた。また、3時間以上かかる下山をハイヒールで試み、途中でスニーカーを購入するなど、計画性の欠如が目立つ。

Kさんの遺体は、8月16日午後5時頃、霧積ダム近くの作業小屋で父親によって発見された。姉が帰宅しないKさんを心配し捜索を始め、父親が近隣住民と小屋を調べたところ、大量のハエが群がる中で遺体を見つけた。

凄惨な殺害現場と遺体の状況

Kさんの遺体は、8畳の作業小屋の中央に仰向けで倒れていた。着衣は紺のノースリーブブラウスと白いスカートで、スカートがまくれ上がるなど乱れが見られた。全身に24箇所の刺し傷があり、特に左胸の心臓を貫く深さ8センチの傷が致命傷。肋骨3本が折れ、首や下腹部にも複数の切り傷があった。血痕は少なく、別の場所で殺害後、小屋に遺棄されたと推定される。小屋には血のついた軍手や地下足袋の足跡、Kさんの所持品(帽子、カメラ、布バッグなど)がブリキ板で隠されていたが、犯人の遺留品は見つからなかった。

凶器は、刃渡り12~15センチの牛刀や登山ナイフと推定されたが、現場付近の捜索では発見されず。警察は怨恨、痴情、通り魔の可能性を検討したが、手がかりは乏しく、犯人像は絞り込めなかった。

不可解な要素:心霊写真と釣り人の証言

事件の謎を深めるのが、Kさんのカメラに残された5枚の写真だ。1~2枚目は金湯館の水車前で撮影されたもの、3~4枚目は忍の池堰堤で、5枚目は金洞の滝の風景写真。3~4枚目の写真は、Kさんが誰かに撮影を依頼したもので、足元に霧のようなモヤが写り込み、「心霊写真」として話題になった。科学的には撮影時の霧や現像ミスが原因と考えられるが、当時のメディアや地元では「死の予兆」と囁かれた。

8月19日、上毛新聞に「石田良夫」と名乗る人物が「忍の池でKさんの写真を撮った」と名乗り出た。石田は、友人と霧積川で釣りをしていた際、Kさんに撮影を頼まれたと主張。しかし、住所が偽装で、警察への出頭も果たさず、証言の信憑性は低い。別の報道では、埼玉の若いカップルが写真を撮った可能性が浮上し、撮影時刻は午後1時15分と推定された。

この「釣り人」の存在は、犯人像として注目された。霧積川は当時、ヤマメやイワナの釣り場として人気で、事件当日に約30台の車が駐車していた。警察は釣り人やハイカーに捜査を広げたが、目撃情報は乏しく、特定に至らなかった。

地元の反応と事件の影響

霧積温泉殺人事件は、地元松井田町に衝撃を与えた。警察は90人以上の捜査員を動員し、旅館の宿泊者名簿やダム工事関係者、伊勢崎でのKさんの交友関係を調査。5年分の宿泊記録を遡り、5000世帯への聞き込みを行ったが、突破口は開けなかった。事件は1987年に公訴時効を迎え、未解決のままコールドケースとなった。

地元では、事件現場の作業小屋が「呪われた場所」として語られ、訪れる者を遠ざけた。金湯館の若女将は、事件現場の場所を訪者に教えることもあるが、未解決の恐怖が地域に影を落とす。事件は、森村誠一の『人間の証明』に着想を与えた金湯館の名をさらに広め、観光地としての注目を集めたが、同時に「怖い場所」としてのイメージも付与した。

当HPに寄せられた声

1972年の夏、家族や知人のキャンセルによって
偶然一人旅になってしまった群馬県在住の若い女性が、
群馬県の霧積温泉のひなびた旅館に泊まり、
その後付近の作業小屋で遺体で発見
されましたが
犯人は捕まっていない、という未解決事件です。

当時近隣のダム工事に携わっていた作業員や釣り人、
ハイカー等、警察の捜査にも関わらず
犯人は逮捕に至りませんでした

山奥の旅館をチェックアウトしてから、
遺体になって発見されるまでの足取りが
はっきりとはわかっていません

山奥で一人じゃ危ないから自動車で送るという申し出
本人が固辞していたりして、本人の性格なのか、
若い女性が普通ならそうするだろうか、という違和感も残ります。

また、本人の持っていたカメラには
殺害されるまでの間に撮影した写真が数枚残されて
おり、
それらと同じ宿に宿泊していた客の目撃証言とを照らし合わせて
足取りをつかむ手掛かりにはなったものの、
本人が写っているものに関して誰が撮影したのか、
当時の警察の調査や新聞記事で呼びかけると
男性が実名で名乗り出たものの、そのような男性は実在しておらず
謎のままです。

山中での事件ですので、
現場付近の雰囲気も40年が過ぎた今も
大きな変化はない
ようで、被害者が宿泊した旅館は
現在も当時のままで存在
しています。

西条八十の「母さん、僕のあの麦わら帽子」から始まる
有名な詩の舞台にもなっている美しい霧積高原のイメージと、
陰惨な事件とのギャップが尚更印象深い事件
です。

現代に残る霧積温泉の象徴性

事件から50年以上経過し、霧積温泉は今も秘境の一軒宿として存続する。金湯館は、伊藤博文や与謝野晶子ら著名人が訪れた歴史を持ち、観光資源としての価値は高い。しかし、事件の記憶は地元に根強く、廃墟やダム周辺を訪れる探訪者の間で「心霊スポット」として語られる。ネット上では、Kさんの写真を「心霊写真」とする憶測や、彼女のアスペルガー症候群の可能性を指摘する声もあるが、これらは証拠に基づかない推測に過ぎない。

事件は、科学技術の進歩による再捜査の期待を残す。DNA鑑定や新たな証拠の出現が、真相解明の鍵となるかもしれない。地元では、Kさんの冥福を祈る声が続き、家族や関係者は今も真相を求めている。霧積温泉の静かな山間に響くのは、風の音か、過去の悲劇のエコーか。事件の真相は、未だ霧の向こうに隠れている。

補足:吉村達也氏の小説との区別

1972年の霧積温泉殺人事件は、群馬県松井田町(現・安中市)で実際に起きた未解決の殺人事件であり、吉村達也氏のミステリー小説『霧積温泉殺人事件』(1992年、徳間書店)とは明確に異なる。実際の事件は、24歳の女性Kさんが霧積ダム近くの作業小屋で刺殺された悲劇で、犯人不明のまま時効を迎えた。小説は、この事件に着想を得た可能性はあるが、登場人物や動機、解決に至る展開は創作である。本記事は、新聞報道(上毛新聞、1972年8月19日など)、金湯館の歴史資料、警察捜査記録に基づき、史実のみを扱い、小説のストーリーや要素は一切含めていない。

たとえば、Kさんのカメラに残された「心霊写真」や「石田良夫」と名乗る釣り人の証言は、1972年の事件に関する当時の報道や地元の口承に由来する。これに対し、小説では独自の探偵や犯人像が描かれるが、本記事ではこうしたフィクションを排除し、事実と検証可能な情報に限定している。霧積温泉の秘境性や事件の不気味さは、実際の歴史と地元の記憶を反映したものであり、群馬のこの悲劇が今も残す影を忠実に伝える。

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