奥州藤原氏の栄華の都、岩手県平泉が世界遺産に登録されたのは2011年。中尊寺金色堂には今もなお、歴代当主の清衡、基衡、秀衡のミイラと、泰衡の首が安置されている。作家の故・山田野理夫さんは、「清衡の呪い」を身をもって体験した一人だ。

山田さんはある時期から、奇妙な夢を繰り返し見るようになった。夢の中で、自分は木立ちの坂道を一人で登っている。なおも登り続けると、やがて目の前に金色に輝く建物が現れる。夢はいつもそこで終わるのだそうだ。

そんなある日のこと、急に右膝が強く痛み、立つのもつらくなった。治療を受けるも原因は不明。ここで山田さんはようやく、この右膝の痛みは清衡の呪いではないかと気づく。山田さんはなんと、清衡公のミイラの一部を所有していたのだ。

それにはこんないきさつがあった。ミイラの学術的な調査が初めて行われたのは1950年。しかし、それより以前に、清衡公の棺を暴いて極秘に調査が行われたことがあったという。その調査中、三人の人間がミイラの右膝部分に触れてしまい、欠損させてしまった。そして三人は、その肉片を調査のために持ち帰る。

しばらくして、一人は電車事故、一人は階段から落下、一人は関節痛と、全員が右膝に問題を抱えるようになった。三人は、ミイラの一部を持ち帰ったことが原因ではないかと考え、山田さんに相談。

問題の欠片を引き取ってもらったという。山田さんは清衡公を元の場所へお返ししたいと中尊寺に申し出たが、叶わなかった。そのためには棺をもう一度開けなければならないからだ。

山田さんは、清衡公の一部を境内のある場所に丁重に埋葬した。その清衡塚は、今も中尊寺のどこかに人知れず存在する。