民俗学者柳田国男の本を読むと、地形から来てる地名は、その場所が人々にとってどんな意味を持ってたかを表してるという。具体的に言うと「クマ」とか「サキ」がついてる地名ってあるだろう。クマノだとかナントカ崎とかの地名だ。

クマは地形が引っ込んで奥まっているってことで、サキは逆に突出してる地形なのだ。こういう場所には何かの祠がまつられてることが多いという。それはクマやサキみたいな引っ込んだ、あるいは出っ張った地形にはあまり良くないものが集まってくる、と昔の人が考えてた証拠なのだ。真偽のほどはともかく、現在でもこういう場所に人はあまり良い印象を持ってない気がする。

知人が住む街の近くにもこういう場所があった。

岬になっていて突端にはH灯台というのがある。もっともそこは現在、いかにも陽光燦々としてそうな明るい地名がついている。実際のところ、風光明媚とまではいかなくても、別に日当たりも風通しも、景色もそれほど悪くない場所だ。

なのにその岬へ足を踏み入れると急に、ふと太陽がかげったような、薄い色のサングラスをかけたような、説明しにくいけれど奇妙な感じがするのだった。始めてそこへ行った時自分は直感的に思った。昔の人はこの場所をあまりよく思ってなかったに違いない。だからそれを打ち消そうとして逆に明るい名前をつけたんじゃないのか…。

この場所で知人は妙なものを見たのだ。それは岬に隣り合った浜辺での出来事で、曇って小雨の降る夏の終わりのことだった。

泳ぐのが好きな彼はそんな天気にも浜辺へ来ていた。灰色にのっぺりと広がる海面に小島があってその上には小さな赤い鳥居が立っている。伊勢の夫婦岩をずっと小さくして、そうして一つにしたものを想像すれば良い。

彼はそこまで泳いでゆこうと思った。天気は悪いが泳ぎ慣れた海で彼にとっては何でもない。

泳ぎ切って小島に上り自分が来た浜の方を眺め渡した時、砂浜に自分以外の人間がいたことに初めて気付いた。たった今来たのだろうか、海に入る前はまるで気付かなかったのだった。

それはカップルらしい二人連れで、雨傘を差して並んで立っており、彼は自分を棚に上げてその物好きにちょっと驚いた。この辺りは盛夏でも海水浴客で賑わったりはしない。ましてこんな天気に何をしに来たのだろう。そう思いつつ何となく視線を横に流していくと、そこにまた一組の男女の姿を認めた。やはり傘をさして波打ち際に立っている。

どうしたんだやけに盛況だな。

反対側に視線を移していった時、彼はちょっと変な気がした。やっぱりそこに男女の二人連れがいて傘を差して立っていたのだ。それは最初に気付いたカップルを中心にして、丁度両側に等間隔を置いて二組のカップルが立っている形だった。

もしかしたらグループで遊びに来たのかも知れない。だけどそれならなぜあんな風に等間隔を開けて立っているんだろう。彼らは別に何をするでもなく、互いに会話をする素振りもなく、悄然として見えた。何だか厭な気がして顔を背けた時、彼は急に鳥肌が立った。

互いに離れて立つ三組のカップルのその隣にはまたカップルが立っていた。そのまた隣にもカップルが立っていた。そのまた隣は雨に煙ってよく見えなかったが、ぼやけた黒い染みのような影が点々と並んでいるようだった。

絵面自体に何も超常的な所はない。けれど他には人影も見えぬ雨の浜辺に傘をさして、海の方を向いてぽつんぽつんと等間隔に佇む男女の姿…そこには名状しがたい、普通じゃないところがあった。この世のアレじゃない、と反射的に思った…

でその後また泳いで戻ったの、浜にあの世の人が等間隔に並んでるのに…と茶化してやったら知人は渋い顔をして何も言わなかった。あるいは無理に離れた岸まで泳いだのかも知れない。

それについては何も言わなかったが、ただこんなことを言った。件の岬に神社がある。その境内に生える松の木の枝に以前、若い男女の首吊りが見つかったのだと。