香川県高松市の北西にある
鬼無(キナシ)という場所に、
桃太郎のお墓があります。

桃太郎のお話は、
岡山県に伝わる鬼退治の言い伝えから
生まれたと知られています。

桃太郎のモデルとなった7代孝霊天皇の皇子、
吉備津彦命(キビツヒコノミコト)は、
岡山県の吉備津彦神社に祀られています。

それでは鬼無にある桃太郎のお墓はなんなのでしょうか。

実はこの吉備津彦命は兄弟で、
兄が大吉備津日子命(オオキビツヒコノミコト)、
弟が若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコノミコト)といいます。

桃太郎のお話は帝の命を受けた2人の吉備津彦命達が、
瀬戸内海を中心に活動していた賊(鬼)達を退治した
出来事を基にしていて。

兄が中国地方弟が四国を担当していました。

資料では兄を吉備津彦命と記述して、
弟の方は稚武彦命(ワカタケヒコノミコト)と記述されるのですが。

資料によっては弟も吉備津彦命と記述されていて、
桃太郎のルーツをたどるときに二人を
同一視したのかもしれません。

桃太郎のお墓が2つあるのは、
鬼退治をした桃太郎が2人だったからです。

香川県の熊野権現(桃太郎神社)の桃太郎のお墓には、
稚武彦命が眠っているのです。

鬼無の熊野権現に桃太郎のお墓があるのは、
桃太郎と鬼の残党が、最後に戦った場所だからで。

鬼がいなくなった場所ということで、
この辺りは鬼無と呼ばれるようになります。

稚武彦命の資料を調べると、
優れた技能集団と協力した事が分かります。

・雉ヶ谷に住む集団:弓に優れる

・陶(スエ:香川県綾川町)の猿王:火の扱い・技術力に優れる

・犬島(岡山県)の集団:操船に優れる

犬・猿・雉にまつわる要素が揃っているのは、
香川の桃太郎だけです。

香川県の言い伝え菅原道真が全国に広めたともいわれていて、
桃太郎の基になったのは香川の桃太郎の方なのかもしれません。