久部良割とその歴史的背景

久部良割(クブラバリ):妊婦が挑んだ与那国の断崖と過酷な人口調整

沖縄県与那国島の最西端、久部良集落の近くに広がる久部良割(クブラバリ)は、長さ約15m、幅3~5m、深さ7mほどの岩の裂け目だ。「バリ」とは方言で「割れ目」を意味し、与那国島の自然が作り出した地形が特徴的である。この場所は、琉球王国時代に課された過酷な人頭税と結びついた悲劇の舞台として知られている。人頭税は、15歳から50歳までの男女に課せられた税で、1637年から1903年まで続いた。島の資源が乏しく、収穫量が限られる与那国では、税負担を軽減するため人口調整が行われたとされる。その手段として、妊婦にこの裂け目を飛び越えさせる風習があったと言い伝えられている。歴史的には、八重山諸島全体で人頭税の重圧が記録されており、『琉球王国史』にもその過酷さが記されているが、クブラバリでの具体的な行為については確固たる文献証拠が乏しい。

風習の詳細と過酷な現実

伝説によれば、久部良割では村の妊婦が集められ、岩の裂け目を飛び越える試練が課された。成功しても強い衝撃で流産する可能性が高く、失敗すれば深い裂け目に転落して命を落としたという。幅3~5mの距離は、現代の基準でも成人男性が助走をつけて跳ぶには難しく、妊娠中の女性にとってはほぼ不可能に近い挑戦だったと考えられる。地元に残る口承では、この行為が「人減らし」として村の合意のもと行われたとされるが、物的証拠や人骨の発見報告はなく、あくまで伝説として語り継がれている。ある訪問者が「裂け目の底を見ると、ぞっとするほどの深さだった」と語ったことがあり、その情景が風習の過酷さを想像させる。

島の資源と人口調整の必然性

与那国島は面積約28平方キロメートルと小さく、耕作地や食料資源が限られていた。黒潮に囲まれた豊かな漁場はあるものの、台風や干ばつによる不作が頻発し、人口増加は島の存続を脅かす要因だった。別の視点では、人頭税を課した琉球王府が薩摩藩からの圧力に苦しみ、離島に過剰な負担を強いた背景も見逃せない。たとえば、宮古島でも同様の「人減らし」が行われた記録があり、与那国のクブラバリもその一環と考える向きがある。この過酷な環境が、人口調整という極端な手段を正当化する土壌を作ったのかもしれない。

訪れる者が感じる異様な気配

観光客が久部良割を訪れると、風光明媚な海岸線とは裏腹に、重い空気が漂うことに気づく。ある旅行者は「裂け目の縁に立つと、何か見えない力が引き込むような感覚があった」と語っている。また、別の証言では「夕暮れ時に訪れた際、遠くから泣き声のような風の音が聞こえた」との報告もある。これが自然現象か、それとも過去の悲劇の残響かは分からないが、こうした体験がSNSで共有され、クブラバリに新たな注目を集めている。地元の観光案内では、この場所が「与那国の歴史を伝える史跡」として紹介される一方、悲しみを湛えた場所としての側面も強調されている。

文化人類学から見るクブラバリ

クブラバリの風習を別の角度から見ると、生存戦略としての文化が浮かび上がる。世界各地の離島社会では、資源の限界に対処するため、厳しい慣習が生まれることがある。たとえば、太平洋の島嶼文化では、出生制限や儀式的な犠牲が記録されている。与那国の場合、人頭税という外部圧力と島の自然条件が重なり、極端な人口調整が生まれた可能性がある。心理学的に言えば、監視し合う共同体のプレッシャーが、この行為を「必要悪」として受け入れる土壌を作ったのかもしれない。現代では考えられない価値観だが、当時の島民にとって生き延びるための選択だったのだろう。

地元の声と現代への遺産

与那国島の住民にとって、クブラバリは観光名所であると同時に、過去の苦難を思い起こさせる場所だ。ある島民は「昔の話だけど、聞くだけで胸が痛む」と語りつつ、「今は平和だからいいよね」と付け加えた。観光業者はこの伝説を「島の歴史の一面」として紹介し、訪れる者に深い思索を促している。近年では、クブラバリが与那国の精神文化を象徴する場所として、県指定名勝にも選ばれている。この悲劇的な噂が、島の過去と向き合うきっかけとなり、未来への教訓として残り続けている。

終わりに向けた思い

久部良割の岩の裂け目は、与那国島の自然と歴史が交錯する場所だ。妊婦が命を賭けた跳躍の伝説は、過酷な時代を生き抜いた人々の苦悩を映し出す。科学的な証拠は薄くとも、この物語が語り継がれる理由は、島の記憶を風化させまいとする思いにあるのかもしれない。次にクブラバリを訪れるとき、風が運ぶ音に耳を傾ければ、遠い過去の声が聞こえてくることもあるだろう。

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