私の地元、徳島に伝わる話に
土左衛門は豊漁をもたらす」という話があります。

今は海での捜索活動は海上保安庁が行っていますが、
大昔は海で遺体を発見した場合は漁を中止して港に持ち帰り、
丁重に供養していたそうです。

広い海原で遺体を見つける事は滅多になかった様ですが、
不思議な事に持ち帰って供養を行った船の持ち主は
その後しばらく大量に魚が取れる事が多かった

と言い伝えられています。

私自身、最初その言い伝えを聞いた時は
「なんで海で遺体を発見したら魚が多く取れるのか?」
と思っていました。

たまたま魚が大量に捕れた時期と重なっただけでは?
と考えた事もあります。

その考えが変わったのは「情けは人の為ならず」という諺を知って、
その意味を理解した時でした。

現在、この諺には2つの解釈があります。

1つは「情けを人にかけてもその人の為にならないから突き放す」との解釈。
1つは「人にかけた情けは巡り巡って自分の為になって帰ってくる」との解釈です。」

大昔は現代以上に海で魚が取れないことは死活問題でした。

単に食糧の供給が無くなるだけでなく、
売る魚介類が無いためお金を得る事が出来ず米や野菜が買えない、
または物々交換に必要な品が用意できなくなるからです。

その漁を中止してまで港に帰り、供養する事を想像すると、
かなりの決断だったと思います、と同時に先人たちの
先を読む力に畏怖と敬意の念を感じます。

一年のどの時期にどのような魚が捕れるのか、
また天候や水温がこの先どう変化していくのか、
それに伴って魚の行動がどう変化するか?

これらの情報を自然現象から読み取り、
「今港に帰ってもまだ余裕があるな」
と判断していたと推測できるためです。

見方を変えると、普段は中々気付きにくい事を見つけられる注意力や観察力、
洞察力を持った人たちが海で遺体を「発見」する事が出来、
持ち帰って供養する事がどのような事に繋がるか「予想」して行動した、
とも考えられます。

また、遺体に対し、「次は自分がそうなるかもしれない。」と
「共感」していたともとれます。

あなたは「土左衛門は豊漁をもたらす」についてどう思いますか?