神武天皇の命令により九州を統治するために派遣された
孫神・健磐龍命(タケイワタツノミコト)は、
宮崎県日向を平定した後、高千穂に立ち寄られました。

その高千穂の峰より、阿蘇を眺めると
「あの広大な土地を開拓し、田畑を耕そう」と、
高千穂から阿蘇へ向かうことを決意されました。

阿蘇へ向かう途中、馬見原の地で幣を立てられ、
祖神を祀られました。

これが、現在の幣立宮です。

幣立宮は、熊本のパワースポットの一つで、
五色人祭と呼ばれる珍しいお祭りで知られています。

馬見原をすぎ、阿蘇に到着された健磐龍命は、
満々と水を湛えた大きな湖を眺め、このままでは農耕に適さない。

湖の水を流せばきっと良い田畑を拓くことができるはずだと、
外輪山をぐるっと見渡し、ある一ヶ所を力の限り蹴破りました。

すると、たちまち湖水は海へ向かって流れ始め、平野が姿を現しました。
よかったよかったと村人たちが喜んでいると、
あまりに勢いよく外輪山を蹴破ったせいで、
健磐龍命は尻もちをついておられました。

そして、何度も何度も立ち上がろうとされますが、
なかなか立ち上がることができません。

健磐龍命がたまらず周囲の村人たちに「立てんのう」と言われたそうです。
このことから、健磐龍命が湖水を海へ流し、
田畑を拓くために蹴破ったその場所を、
立野」というようになったと言い伝えられています。

もし健磐龍命が湖を蹴破らなければ、
阿蘇は今でも水を湛えた世界最大のカルデラ湖だったでしょう。