この話は、当時勤めていた会社の同僚であった
衣笠さんから、聞いた怖いお話です。衣笠さんは、地元でそこそこの檀家を持つ、
お寺の住職でもありました。何代も続いたそのお寺は、檀家の人たちに信頼されておりました。
お寺の住職をしながら、会社勤めもしていました。衣笠さんは、朝起きると、本堂に行き、扉や窓を開けて換気をし、
板葺きの床やご本尊を祭った台座周りを掃除します。そのあと読経をあげて、隣にある自宅に戻って食事をした後、
会社に出勤してきました。帰宅後、夜になると、
本堂の戸締りをしてから、眠ります。ある夜、いつものように、戸締りをしようと本堂に入ったときのことです。
蝋燭灯の明かりのように、ぼーっと本尊の前が、ほのあかるくなっていました。まだ、9月の残暑の残っている夜の口なのに、
さわさわーっと冷たい冷気を足元に感じた衣笠さん。目を凝らして、みていると、人の両脚からお腹のあたりが、
ぼんやり浮かびあがるように近づいてきます。足首から下はなく、胸から上も暗闇に紛れ込むように消えておりました。
衣笠さんは、ちょっとぎょっとしました。でもすぐに、口の中でお題目を唱えて、「わかりました」
というと、すーっと消えてなくなったそうです。それから、3日後、檀家の誰それが、
亡くなったという知らせがお寺に届いたそうです。「亡くなる前に、あいさつにきたんだよ。よろしくってね。」
衣笠さんは、たんたんというのです。「怖くないですか?」ときくと、
「もう慣れたね。」ちょっと怖いけどという風に、
少し笑って教えてくれました。「だいたい、あいさつにきてから、1週間以内くらいに、お葬式の連絡がくるね。」
みえる姿は、いろいろだそうで、身体だけのときもあるし、
手足だけのときもあるそうです。顔がはっきりすることは少ないようですが、
顎がなかったり、顔が半分だったり、それはそれで、怖いようです。「ああっ、きたなぁ」と思うそうです。
「あんまり、気持ちのよいものじゃないけど、仕事だからね。後のことが、心配なんだろうね。」
信心やお寺について、
ちょっと考えさせられたお話でした。


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