平家物語で有名な源氏と戦った平氏一族。
壇ノ浦の戦いで負け、逃げ延びたものたちを
「平家落人」と言いますが、奈良、和歌山、四国、岐阜、滋賀などの、
山深い場所に逃げ、今でもその末裔がひっそり暮らしているという
「平家落人伝説」を聞いたことはありませんか?
私はそれをただの「伝説」だと思っていたのですが
(私のように「伝説」だと思っておられる方もまだまだ多いと思います。)、
実際、日光の湯西川温泉や九州宮崎県椎葉村では、
毎年今でも、平家の武者や姫に扮して練り歩くという祭りが開催されています。
そんな平家落人の末裔がなんと
沖縄県宮古島まで流れ着いて暮らしていた?!
そんなこと想像できるでしょうか?
源氏に負けたと言われている平氏は、
おそらくその場で解散したのでしょうか(笑)、
北は東北、南は琉球に逃げ延びた。
そのうちの南に逃げ延びたのが「南走平家」と言われていて、
九州から、奄美大島、沖縄本島、宮古島、そして西表島まで。
平家が流れ着いてきたという記録が実際残っているのです。
奄美大島には、平家の末裔を祀っている神社が建立されていますし、
宮古島の北東岸には、狩俣地区という集落があり、
「平家の落人が流れ着いて、その場に住んでいた住民と共生していた。」と
集落ガイドマップにはっきり記されていたり、平家の落人が祀られている
御嶽(「ウタキ」と読む:沖縄特有の拝所)も現存していました。
平家の落人は、造船、航海、操船技術に長けていて、
その技術を元から住んでいた人々に教えていたようです。
その当時の狩俣地区には、
航海技術訓練をする場所も設けていたということです。
宮古島の狩俣地区には、
他県から、そして、海外から多くの大学員研究者、
学者が来島して、研究を重ねているようです。
狩俣地区は、映画「スケッチオブミャーク」の舞台です。
そして、狩俣地区の真向かいには、
「神の島」と呼ばれている「大神島」がありますが、
その「大神島」に平家落人とともに流れ着いた
「安徳天皇」のお墓があるとも言われています。
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