乙巳の変で有名な中臣鎌足だが、
のちの藤原鎌足、そして平安に栄華を極める
藤原道長の祖先でもある。

中臣鎌足は乙巳の変以前は
神祇の職についていたとされる。

しかし当時この職はなかったとされ、
また、中臣鎌足の父母のことは資料として残っていない

これは中臣鎌足が成りあがり者だったということではないか。

百済王である豊璋は唐に敗れて、
日本で逃げ隠れるために中臣鎌足に名前を変えて
日本人に成りすます

そして蘇我氏をうちとるのに丁度いい中大兄皇子と乙巳の変を起こし、
蘇我氏を滅亡に追い込み、自分は内臣という職に就く。

内臣は、法律で保証された正式な職務ではない。
臨時職なのである。

そして、蘇我馬子が聖徳太子だとすると、
憲法17条を作ったのは蘇我氏ということになる。

朝鮮人の血が流れる中臣鎌足からすれば
とんだお人好しの憲法でいけすかなかったに違いない。

日本書紀が藤原氏に都合良く書きかえられているということなので、
本当は国民の支持を得ていた蘇我氏を倒したのが藤原家というのは
都合の悪い記述
なのである。

蘇我氏を悪者にしなければならない

しかし、蘇我氏には冠位12階や、
憲法十七条という素晴らしい実績がある。

これを失くしてはさすがに歴史は語れない。
なので聖徳太子という架空の人物を登場させる。

架空と言うか厩戸皇子なのだが、
ここは血がすでに途絶えている。

蘇我氏が撃ち殺したことになっているが、
本当は中臣鎌足にやられたのではないか

聖徳太子は聖人としてみんなに慕われていたという。
きっと蘇我氏もみんなに慕われていたに違いない。

中臣鎌足という朝鮮人により、
悪者に変えられて今の歴史に刻まれてしまっている。

そもそも馬子なんて名前変だし、蝦夷もひどい名前だよ。
私は藤原氏が嫌いだ。