弥生時代に活躍した「邪馬台国」の女王、
卑弥呼」は、謎が多い人物です。

「卑弥呼」の活躍として代表的なのが、魏に使いを送ったことで、
これは魏志倭人伝にしっかりと記録が残っています。

しかし、卑弥呼の墓はどこにあるのか、
邪馬台国はどこにあったのか未だに謎のままです。

まず、邪馬台国の場所の一説がいくつかあります。

邪馬台国の場所は飛鳥地方説

一つ目飛鳥地方です。

飛鳥地方は、卑弥呼の時代よりもさらに後、
つまり200年以上後に栄えた地方
なのですが、
それよりも前に一度栄えていたのではないかという仮説が相次いでいます。

古代に栄えた飛鳥地方に、邪馬台国があったに違いない
という説で知られています。

邪馬台国の場所は現在の佐賀、長崎説

二つ目は九州の現代で言う佐賀、長崎あたりです。

邪馬台国を治めていた卑弥呼が、魏に使いを送るために
最適の位置がちょうどその位置である
という仮説があります。

実際に日本の佐賀、長崎どちらも、船を出すことに適した環境だったため、
この辺りに邪馬台国があったという説が有名です。

結局、どちらの説が正しいのか、未だに判明していません。

卑弥呼の墓の位置

次に、卑弥呼の墓の位置ですが、
飛鳥地方にある箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないか
と言われています。

箸墓古墳は実際、小さな古墳ではありながらも古墳時代前期か、
あるいは2、3世紀頃に建てられたという言い伝えがあり、
邪馬台国の栄えていた時代に建てられた可能性が最も高いとされています。

しかし、卑弥呼が生きていた時代に古墳が存在していたかどうかは不明であるため、
この説は結局確信できるものではありません。