服部半蔵と聞くと何を思い浮かべるでしょうか?
おそらく誰もが一番最初に「忍者」
という言葉を思い浮かべると思います。
それもそのはず、服部半蔵は徳川家康の作った
特殊部隊いわゆる忍者の中でも特に優れた能力を持ち
徳川家康に認められたといわれる人物である。
しかし今回はその服部半蔵が
あの松尾芭蕉と深く関係しているのではないかというお話。
松尾芭蕉といえば奥の細道で有名な
全国各地を歩いて回ったこれまた誰もが知っている
歴史上の人物である。
では何故まったく関係の無さそうな松尾芭蕉と
服部半蔵が深く関係しているのか?
それはこの2人実は同一人物であったという話があるのです。
全く想像がつかない話ではあるが、
この二人のそれぞれの生き方を見ると
あながち間違ってはいないようにも見える。
服部半蔵の生き方
先ほど説明したとおり
徳川家の特殊部隊の一員として名をはせた服部半蔵は
徳川家が天下統一を果たした後、
家康から半蔵の願いであった「自由」の褒美を得る。
自由を手に入れた服部半蔵は旅に出たといわれている。
松尾芭蕉の生き方
奥の細道を記すため全国各地を歩いたという話は有名である。
しかしここで様々な疑問が浮かび上がる。
当時松尾芭蕉は46歳、江戸時代の頃からするとかなりの高齢者。
そんな彼が一日に数十キロもの距離を歩けたのか?
さらに今では全国各地に行くことなどなんとも思わないが、
当時はそれぞれの藩に行くためにはよほどの重要人物でない限り
1人の老人が旅をするなどほぼ不可能に近い。
ここで服部半蔵=松尾芭蕉の仮説ができる。
忍者とは今で言うスパイである。
移動手段はほとんどが自分の足で移動しなければならない。
しかし忍者としての修行を日々鍛錬していた
強靭な足腰であればそんな行動は朝飯前である。
そして全国に行くための唯一の手段、それは徳川家に縁のある者。
この二つを松尾芭蕉にあてはめると奇妙なほど合点がいく。
単なる偶然であるかもしれないがもう一つ。
服部半蔵と松尾芭蕉の生まれた場所
松尾芭蕉の生まれた場所、
服部半蔵と同じ伊賀上野だといわれている。
松尾芭蕉と服部半蔵、この二人の生き方があまりに酷似しているのは
本当にただの偶然なのであろうか?以上服部半蔵と松尾芭蕉でした。
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