日本史の上でもっとも有名な人物だと言われている織田信長

本能寺の変で家臣の明智光秀に謀反を起こされて
その生涯を閉じました。

焼け落ちた本能寺を隅から隅まで調べても、
信長の遺体は見つかりませんでした

人の遺体を完全になくしてしまうほどの火災というのは
普通では考えられない
と言われています。

では、信長の遺体はどこに行ってしまったのか?

諸説ありますが、本能寺はとても狭いお寺だったということから
安全のために隠し通路があったのではないか、という説があります。

謀反が起きた場合など、敵に攻められた時に
隠し通路から逃げることができたのではないか、と言われています。

この通路を作ったのは家臣の豊臣秀吉だったという話もあります。
実際、信長の死去後、天下人となったのは豊臣秀吉でした。

隠し通路を事前に塞ぎ、外に出られないようにしたのではないか
と言われています。

隠し通路を信長1人で進んでいくとは考えにくいので、
誰かが一緒にいたと思われます。

この誰かと一緒に隠し通路の途中で亡くなったという話もあるくらいです。

隠し通路を知っていたのは秀吉だけではなく、
南蛮寺にいた外国人も知っていた
のではないかという説があります。

信長の遺体を本能寺の焼け跡から見つけることができなかった、
ということで日本人ではない人たちが運びだし、
こっそりと埋葬をしたのではないかとも言われています。

偉大な人物だったからこそ、
その遺体を人の目に晒したくはなかったのかもしれません。