堺事件は慶応四年二月十五日に
堺に上陸したフランス海軍の水兵が街で狼藉を働き、
その水兵たちを土佐藩士が切り殺した事件です。

当事外交問題となって、フランスが土佐藩士を処罰しないと
戦争をする
と言っていたのですが、土佐藩士20名が事件に関与して
堺市内の妙国寺に謹慎していて、くじ引きで切腹する人間を
14名選んだ
と言われています。

事件に関与して命が助かった6名がいたはずなのですが、
そもそも関与した人数の20名というのも実際はもう少し多くて、
少なくとも26名くらいは事件に関与した形跡があり、
妙国寺に謹慎する際に6名ほどは密かに逃がされたようです。

そしてさらに6名が切腹を免れていて、
切腹の模様はフランス軍の軍人が立会人となったのですが、
その切腹の模様が実に壮絶だったので、
フランス軍の戦意を奪った
と言われています。

切腹した14名は土佐烈士として妙国寺に葬られ、
鎮魂碑が妙国寺にあります

そしてミステリーなのはその生き残りの12名が
その後どうなったかがさっぱりわからない
ということです。

土佐藩としては生き残りがいる
しかも半分ぐらいは生き残りがいるということは
公に出来ることではない厳重な秘密だったので、
生き残りはその後土佐藩士としても公の場にも出ることは出来ず、
ひっそりと蟄居の生活だったと言われています。

明治維新の後もそういう経歴だと
フランスにでも知られると命が危ういので、
ヨーロッパなどにも出ることも出来なかったので、
12名ともひっそりとその生涯を閉じたのであろうと言われているに留まり、
実際はどうだったかを伝える資料もまだ見つかっていません。

そういうものが見つかるまではミステリーのままのことのようです。