1992年の6月から7月にかけてのことです。

大阪府の南部に位置する人口45000人ほどの町、
熊取町で5人の若者が相次いで自殺・変死する
という事件が起きました。

5人のうち4人が10代で、もう一人も22歳という若さ。

しかも事件は1週間ごとに起こり、
事件が起こったのは必ず水曜日か木曜日ということで
世間の注目を集めました。

最初に亡くなったのは無職の17歳・A君でした。

自宅そばにあるタマネギ小屋で
首をつっているところを発見されました。

A君の死は自殺とされましたが遺書らしきものもなく、
また周囲の人に聞き込みをしても
自殺するような理由はなかったというのです。

その次の週に18歳の土木作業員B君がやはり首つり自殺
また翌週に旅館に勤める18歳のC君が首つり自殺したのです。

C君は手を後ろ手に縛って自殺していたとのことですが、
なぜ自殺する人間がわざわざ後ろ手に縛るのか、
が残っています。

さらに翌週、岸和田市職員の22歳のD君が首つり自殺

D君は手の届くはずのないような高い木の枝で首を吊っていましたが、
近くには踏み台になるようなものも何もなかったと言います。

その翌週に大学生のE子さんが果物ナイフで首と胸を刺して自殺

発見されたときにはまだ息の合った彼女は
違う、違う」とうめくように言っていたそうです。

実はこれに先立つ4月と5月、17歳のF君とG君が
それぞれため池に落ちる、
シンナーによる心不全で変死を遂げています。

この2人を含めると、この町でわずか3か月のうちに
7人の若者が亡くなった
ことになります。

自殺した5人はすべて半径1.2キロ内で亡くなっており、
B君・C君・E子さんは事件の前に「車に追われている」と言っていたとのこと。

だいたいこんな小さな町で
これほどの自殺・変死が連続して起こるでしょうか。

警察はすべて事故死・自殺を結論をつけてしまいましたが、
何か裏で大きな力が働いているように思えてならないのです。