戦争の歴史において、
機関銃が登場してから戦場において
戦い方というものが全く変わってしまった。
どんなに頑張ったところで
機関銃などの絶対的火力でばらまかれる弾丸に
生身の歩兵が敵うことはないが、
勝ってしまったことがある。
日露戦争中、
ロシア帝国の塹壕と機関銃で武装した旅順要塞に相手に、
日本軍はどう考えても武力で劣る歩兵で
何度も突撃を仕掛けていたら、
最終的には要塞を攻略することができた。
ただし、最初のうちは毎回ロシア軍の機関銃で全滅していたため、
仕方なく203高地の攻略や砲弾観測所設置などから
じわじわ攻めていったのだが、結局のところとしては、
歩兵でも気合と根性でどんどん突撃を仕掛ければ
機関銃に勝つことができるという事実が出来てしまった。
同時に「気合と根性で突撃すれば歩兵でも機関銃に勝つことは
できるが、一回の突撃による死亡者は5千人余に上る」
という悲しい結果も残ったが、当時の日本軍にとっては
ロシア帝国を降伏させたことが全てで、力づくの突撃により
大勢の死亡者が出たことについてはあまり重要視されていない。
明治32年に書かれた軍人用教本「歩兵操典」では、
「戦争の詳細は火戦で決まるものであり、
突撃は敵が退却し始めてからするものである」と、
巨大火力の恐ろしさや西洋的な効率的攻撃法を
教えているのに対し、日露戦争後の明治42年改訂版
「歩兵操典」の内容は「射撃で敵を制圧したら突撃すべき、
最終的に勝敗を決するのは銃剣突撃である」など、
何故か真逆で逆行した教えになってしまっている。
真相は定かではないが、
やはり日露戦争での歩兵突撃による旅順要塞陥落の経験が
多大な影響を及ぼしているのではないだろうか。
しかしながら、それを忠実に守ったが故に
大勢が死亡した事実は忘れられている。
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