江戸時代には、怪談が流行し沢山の怪談話が生まれました。

特に皿屋敷や四谷怪談など著名な作家が作り上げた怪談が広まる中で、
同時代に起きた奇妙な実話が人々の間に広まり怪談となった話があります。

累ヶ淵の怪談」がそれです。

「累ヶ淵(かさねがふち)」とは利根川の支流、鬼怒川の下流域、
茨城県常総市羽生町辺りの、川が大きく蛇行し淵を作っている場所を指す地名です。

ですがその名称は、地名であると同時にこの淵で非業の死を遂げ、
悪霊となった少女「累(るい)」の名前でもあるのです。

累の存在はその当時、
そこに住んでいた村人達でさえ忘れていたほどの過去の人でした。

そんな時、村に住む菊という名の少女が
ある日突然「口走り」を始めます。

口走りとは、人に「何か」が憑き、
意味不明なことを喋り始める事を指します。

菊に憑いた何かは
「私は菊の父親によって、川に捨て殺された累である」と言うのです。

菊の父は再婚を何度も繰り返している性根の腐った男でしたが、
その最初の妻が累という名でした。

そして、その累は結婚してすぐに鬼怒川で溺死していたのです。

村人は累が真実を語るために少女に憑いたのだと恐れ、
高名な僧侶に払ってもらいようやく事なきを得ました。

しかし、菊という少女は再び口走りを始めるのです。

今度菊に憑いた何かは
「私は累の姉で、足が不自由だった為に自分の父親に川に投げ捨てられた助(すけ)である」と語り出すのです。

村人達は村一番の古老に話を聞きに行き、ようやく助の不遇と、
累の非業、およそ60年にわたり利根川の淵に隠され続けられてきた罪
を知ることになるのです。

菊は再び僧侶による悪霊払いを行ってもとに戻ることができました。

村人達は、死してなお悪霊となり少女を祟った累と助を弔い、
村の法蔵寺に墓を建てます。

この法蔵寺にある「累の墓」は、
現在でも歌舞伎や落語の演目として知られる「累ヶ淵」の演者が、
その初演を前に累の霊を弔いに来る霊所として知られています。

ちなみに累(るい)という名前なのに累(かさね)ヶ淵
という名前になっている理由は、
累が死んだ姉の助と瓜二つだったので、
助が累(かさね)て出て来たと父が恐れた
からだということです。

またこの場所で助の非業が累に及び、累の怨恨が菊に憑いたという、
怨嗟が累(かさな)った場所だからということもあるんでしょうね。