その昔、神奈川県鎌倉の深沢というところには、
40里の湖があり、この湖には五つの頭を持った
五頭竜」が棲んでいたとされています。

五頭竜は、洪水を起こしたり山を崩したり、
或いは病気を流行させたりして暴れまわり、
人々を苦しめていたそうです。

人々は非常に困り、また大変に恐れたが、相手が竜ではどうすることもできず、
少しでも竜におとなしくしてもらうために、いけにえとして村々から
くじ引きで村人を供えるようにしたが、竜はそれに満足せずますます暴れまくった。

そのため、子は親と別れ、親は子を失い村人達は次々とよそへ移住していった。

津村の長者には、16人の子どもがあったが、一人残らず五頭竜に飲まれ、
死んだ子を恋い慕いながら他村へと逃げていった。

その時から、深沢から西へ行く道の付近を
「子死越(こしごえ)」と呼ぶようになり、
これが現在の腰越の地名の起こりであると言われる。

竜を恐れた人々は、続々と他村に移住し村からは人影が消え、
荒れ果ててしまった。

そんな時一大異変が起こった。
欽明天皇13(552)年4月12日のことである。

突然起こった大地震が天地をゆるがせ、10日間も続いた。
23日辰の刻にはぴたりと地震がおさまり、人々がほっとして海の方を望んだ時、
今まで何もなかった子死越前方の海に忽然として一つの島が現れた。
これが江の島の誕生であるという。

この天地の異変を五頭竜は見つめていた。
すると天から美しい天女が五色の雲にのり、
童女を従えてしずしずと湧き出たばかりの島へと降りたった。

天女の美しさに感じた竜は、やがて結婚を申し出たが、
人々の幸せを任としている天女が里人を苦しめてきた
竜のような者の妻には到底なれないと言って、
竜の申し出をはねつけ洞窟に隠れてしまった。

しかし、どうしても思い切れない竜は、たびたび島を訪れ、
ついにこれからは人々を助けることに努力することを天女と固く約束した。

それからの五頭竜は、人々を守るために日照りの時には雨を降らせ、
秋の台風には体をはってはね返し、押し寄せる大波からは陸地を守り、
一生懸命人々のために働いた。

やがて竜のかたい心を知った天女は、竜に結婚することをゆるし、
お互いに人々の幸福のために力を合わせた。

時がたつにつれ竜の体はだんだんと衰えていった。

自分の寿命の尽きるのを知った五頭竜は、
天女に「死んでも私は山となって島と里人を守ります。」と告げ
対岸に渡り江の島の方に向かって長々と横たわり一つの山なった。

これが現在の片瀬山で、竜の口のある場所が、
現在の竜の口(たつのくち)であるという。

里人はこの山を竜口山と呼び、五頭竜を祭った社(やしろ)を建てた。

これが竜口寺の西隣にある竜口明神で、五頭竜の木彫りのご神体がおさめられ、
今でも60年に一度の「巳年式年祭」の日には、おみこしに乗せて江の島へ渡り、
天女の弁財天と一緒にしているそうです。