兵庫県の斑鳩寺(イカルガ)の宝物館で展示される、
聖徳太子が作ったと伝えられるデコボコとした球。
球に盛りつけられたデコボコを見ていると、
子供の頃に描いた世界地図を思いだす。
聖徳太子が建立した斑鳩寺にある、
ソフトボールと同じ大きさの球は「地中石」と呼ばれる。
江戸時代に制作された所蔵目録「常什物帳」に、
聖徳太子ゆかりの宝物として記載されている。
この「地中石」をよく見ると、
南極大陸の場所に「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」と記されている。
メガラニカ(Magallanica)は、
古代ギリシャで南方に存在すると言われた架空の大陸の名前だ。
南極大陸にメガラニカという地名が記されていたことから、
この球は聖徳太子が作った地球儀ではないかと言われている。
聖徳太子の地球儀には日本やユーラシア大陸はもちろん、
アメリカ大陸に南極大陸(メガラニカ)まであり。
更には、
ムー大陸と思われる陸地も描かれている。
コロンブスがアメリカ大陸を発見したのが1492年、
南極大陸が発見されたのは1820年代の事だ。
TV番組でこの聖徳太子の地球儀が取り上げられた事がある。
その番組では1713年(江戸時代)に作られた地図に似ていることや、
使用されている素材が江戸時代の素材という事から、
この球は聖徳太子と関係がないとしていた。
聖徳太子と関係が無いとしても南極大陸発見より100年以上も前に、
どうして南極大陸の存在を知っていたのだろうか。
チャーチワードが1900年代に唱えた、
ムー大陸の特徴を捉えた陸地があるのだろうか。
日本初の百科事典を作った寺島良安が
聖徳太子の地球儀を作成したのでは無いかと言われているが。
何故この地球儀に南極大陸やムー大陸が描かれているのか、
それは未だに解明されてはいない。
2015年11月5日 at 2:56 PM
本物だと思う。
南極はギリシャの伝説を元に
遊び心で作っただけだろ。
ムー大陸みたいに見えるのは
ギリシャの世界樹伝説を元に
したものだろう。
飛鳥時代の日本は百済一辺倒
外交から隋、新羅をはじめと
した全方位外交に転換してい
た時期であり後世の学者が勘
違いして騎馬民族征服説を唱
える位の古代では一番国際色
豊かな時代であった。
何でもかんでも捏造で決めつ
けるのは良くない。