千葉県市川市の八幡(やわた)には、
人が立ち入ることが出来ない場所があります。

八幡の藪知らずと呼ばれる森は、
普通の町の景色の中にあり、
出入り口の無い石造りの柵に囲まれています。

八幡の藪知らずに立ち入ると出られなくなる
そう言い伝えられる禁足地として知られています。

有名なものでは、
水戸黄門が八幡の藪知らずに迷い込んで、
何とか森から出ることを許してもらった
というお話があります。

八幡の藪知らずのまわりは、
石造りの柵で凹形に囲まれていて。

敷地の1辺はだいたい18mくらいで、
凹型のへこんだ部分には鳥居と小さな祠があります。

敷地内に建物のような構造物は存在せず、
樹木が自然のまま生い茂っています。

八幡の藪知らずの事が確認できる最古の資料は、
1749年(寛延2年)の『葛飾三地誌』で。

『葛飾三地誌』に大きな森ではないと記述されていて、
もともと広い森では無いことがわかります。

他の文献には「藪の間口漸く十間(約18m)ばかり」と記述があり、
八幡の藪知らずは大きさが変わっていない事がわかります。

このことから、
少なくとも江戸時代から八幡の藪知らずには、
人の手が加えられていない
ことがわかります。

『葛飾三地誌』にも、
八幡の藪知らずが禁足地になった経緯は残されてないので、
禁足地になった理由は不明のままです。

八幡の藪知らずには平将門の影武者達が埋まっていて、
影武者たちの呪いから八幡の藪知らずは
禁足地になった
とも伝えられています。

長い年月の間には、
何度も八幡の藪知らずを開発しようと計画されたはずです。

それでも、
八幡の藪知らずは人の手が加わるのを拒み、
自然のままの姿で今もそこにあるのです。