昭和7年に夕張川近くの国道234号線の拡張・整備計画が立ち上がり、
道路を直線にするために邪魔な木を切り倒そうとノコギリを入れると、
ヒーヒーと木が泣いているような音がしたそうです。

ノコギリは折れて使い物にならなくなり、
斧を使うと柄が折れて作業員のお腹に刃先が刺さり死んでしまう。

切るのがだめなら馬に引かせて倒してしまおうとしますが、
ロープが切れて馬引きが倒れる馬の下敷きになってしまう。

だれもこの木を倒せないままで、
結局道路はこの木を避けるようにカーブして整備されることになります。

この出来事から、
樹齢300年を越える大きなハルニレの木は、
泣く木』と呼ばれるようになります。

この辺りの開発が盛んだった明治のころの話ですが、
やることはたくさんあるのに人出が足りません。

そこで囚人たちを労働力として働かせるのですが、
劣悪な労働環境で酷使したために何人も死んでしまいます。

その死体は作業現場の近くにあった、
後に泣く木と呼ばれるようになる、
大きなハルニレの木に埋められた
といわれています。

誰にも切り倒せなかった泣く木ですが、
昭和29年に北海道を襲った洞爺湖台風によって、
上半分ほどが折れて吹き飛ばされて
しまいます。

そして昭和45年に再び道路の整備計画が立ち上がり、
泣く木をどうするかで話し合いが行われている中で。

深夜に若い作業員が酔った勢いで、
金銭の絡む賭けの為にチェンソーを振るうと、
泣く木は切り倒されてしまいます。

作業員が短絡的な行動したために、
泣く木の切り株と道路のカーブは残されることになり、
程なくして若い作業員は消息不明になってしまいます。

ところが今度は泣く木の辺りで、
事故が多発
するようになります。

今では泣く木の切り株の周辺は整備され、
祠を祀り『泣く木二世』を移植して、
泣く木の慰霊をする場所になっています。