昔から物資を大量に移動させる時は船が活躍をするのですが、
昔は船を動かすのに潮の流れや風の流れに大きく左右されて、
港で「風待ち」「潮待ち」をするのも当たり前の光景でした。

船員や旅人は飲食の他に売春婦を買ってお金を落としていたので、
自然と売春に携わる人たちも集まるようになります。

三重県の渡鹿野島は船乗りたちに「風待ちの島」として知られる島で、
目立った産業もないことで売春が島の裏産業としてなりたっていました。

島という環境もあって、
性産業に対して行政の力が及びにくかった事から、
バブル期まで『売春島』として性産業が続くことになります。

知る人ぞ知る島の裏稼業として、
バブル期の最盛期には200人の女性が島で性産業に従事していて、
男性だけの団体客が常にいたそうです。

1971年に渡鹿野島で売春婦をしていた家出少女等が保護される事で、
島の裏稼業の存在が明るみに出ることになります。

それまでの知る人ぞ知る場所から段々と男性客が増えていき、
大阪や兵庫の工場から団体客も来るようになっていきます。

家出少女や借金を背負った女性が働いていたこともあり、
警察が何度も摘発するのですが裏稼業の全貌はつかめません。

何しろ島の経済を循環させるのに必要な、
外からの金を呼びこむ重用な産業なのですから、
警察に協力する理由がありません。

ところがバブルが崩壊すると、客足が遠のいていき、
バブルで膨らんだ裏産業もはじけ飛ぶことになります。

渡鹿野島はそれまでの売春島から生まれ変わろうとしていますが、
裏稼業の残した影は色濃く渡鹿野島に残っているようです。