2022年、吉野家の店舗で客が卓上の紅しょうがを箸で直食いし、その動画がSNSで拡散された事件。単なる迷惑行為として犯人が逮捕された一方、「吉野家が話題作りのために仕込んだ」「客足回復を狙ったヤラセ」との陰謀説が浮上。迅速な対応や同業他社での類似事件が、疑惑を深める要因となった。その裏側に迫る。
事件の発生、その経緯と拡散
2022年9月29日未明、大阪市住之江区の「吉野家」店舗で、客が卓上の共用紅しょうが容器に自身の箸を突っ込み、かきこむように食べる行為が発生。この様子は同行者の岡敏秀(当時34歳)がスマートフォンで撮影し、SNSに投稿。動画は2023年2月頃に広く拡散され、「牛丼テロ」として注目を集めた。映像では、主犯の嶋津龍(当時35歳)がカメラ目線で紅しょうがを食べ、笑い声が背景に響く様子が映し出されており、悪びれない態度が批判を呼んだ。
吉野家は2月5日に動画を確認し、即日で当該店舗を一時閉鎖。紅しょうがの廃棄、備品の消毒・洗浄を実施し、翌6日には全従業員に衛生管理の徹底を通知。4月4日、大阪府警住之江署は嶋津と岡を威力業務妨害と器物損壊の疑いで逮捕。2024年2月15日、大阪地裁は「身勝手で悪質」と断じ、嶋津に懲役2年4月・罰金20万円の実刑判決を言い渡した。検察は「店舗への悪影響を顧みなかった」と指摘し、損害額は紅しょうが269円分とされた。
陰謀説の台頭、「ヤラセ」疑惑の根拠
事件後、一部で「吉野家が仕組んだ話題作り」との陰謀説が浮上。背景にはいくつかの要因がある。まず、吉野家の対応が異例なほど迅速だった点だ。動画確認から数時間で店舗閉鎖を決め、謝罪と対策を発表。公式声明では「刑事・民事の両面で厳正に対処する」と強硬姿勢を示し、警察への被害届提出も早かった。Xでは「対応が早すぎて不自然」「謝罪文が用意されてたみたい」との声が上がった。
次に、事件のタイミングが注目された。2022年当時、外食産業はコロナ禍からの回復期にあり、吉野家も2021年3月期に売上高1690億円(前年比14%減)と低迷していた。2022年3月期には回復傾向(売上高1865億円)を見せたものの、客足は完全に戻らず、新商品「親子丼」の投入で話題性を求めていた時期だ。「紅しょうが直食い」が拡散したことで、吉野家は否応なくメディア露出を獲得。あるユーザーは「客を呼び戻すための炎上商法では?」と投稿し、賛否を呼んだ。
さらに、同業他社での類似事件が連鎖したことも疑惑を深めた。2023年1月のスシロー「醤油差し舐め」や、2025年のすき家「異物混入」事件が続き、外食チェーン全体で異常行動が注目された。文化人類学的視点では、こうした「迷惑行為の模倣」がSNS時代特有の現象とされるが、「裏で仕掛け人がいる」との憶測も生まれた。Xで「チェーン店が共謀して話題作りしてる?」との声が散見された。
陰謀説への反論と現実的な視点
しかし、陰謀説を裏付ける証拠は乏しい。吉野家の迅速な対応は、企業イメージの毀損を防ぐ危機管理の基本だ。2022年4月には常務の「生娘シャブ漬け」発言で炎上し、広報体制を強化していた経緯があり、迅速さは当然の帰結とも言える。経済評論家の高橋洋一氏は「ヤラセならリスクが高すぎる。企業価値を下げる行為を自ら仕掛けるのは非現実的」と指摘。実際、事件後の株価は一時下落し、対応コストも発生した。
業績への影響も限定的だ。2023年3月期決算では売上高2145億円(前年比15%増)と好調だったが、これは値上げ(牛丼並盛426円)と新メニュー効果によるもの。事件が直接客足を増やした証拠はない。談合説についても、公正取引委員会の調査記録はなく、各社の対応(スシローは訴訟、吉野家は刑事告訴)は独立している。心理学的には、「陰謀説」は不信感や情報過多から生じる「統制欲求」の表れと解釈でき、根拠より感情が先行した可能性が高い。
2025年すき家異物混入との関連性
2025年のすき家「異物混入」事件(ネズミ・ゴキブリ混入)との関連も考察された。すき家を運営するゼンショーは吉野家の親会社でもあり、両事件が「企業体質の問題」か「意図的な仕掛け」と疑われた。Xでは「ゼンショーが衛生管理をわざと緩めて話題作り?」との声が上がったが、すき家の対応(全店閉鎖と謝罪)は吉野家と異なり慎重で、業績への打撃(株価7.1%下落)を考慮すれば仕掛けとは考えにくい。むしろ、両社は独立した衛生管理の失態に直面したと見るのが妥当だ。
真相と残された問い
吉野家の「紅しょうが直食い」事件は、単なる迷惑行為がSNSで増幅され、陰謀説を招いた一例だ。ヤラセや話題作りの証拠はなく、吉野家の対応は危機管理の結果と結論づけられる。だが、消費者との信頼の溝や、外食産業全体での連鎖的な異常行動は、現代の情報社会が孕む闇を映し出す。この事件の影は、紅しょうがの容器の底に沈んだまま、静かに波紋を広げ続ける。
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