戸来村のオーパーツ:大石神ピラミッドとキリストの墓

青森県三戸郡新郷村(旧戸来村)に位置する「大石神ピラミッド」と「キリストの墓」は、オーパーツとして日本でも屈指の神秘的な遺跡だ。1935年に竹内巨麿が「竹内文書」を基に発見したとされるキリストの墓は、イエス・キリストが日本で生涯を終えたという驚くべき伝説を伴う。一方、大石神ピラミッドは、太陽石や方位石といった巨石群が配置された自然の山を利用した遺構で、5万年前のものとされる。この二つの遺跡は、都市伝説として語り継がれ、戸来村を「神秘の村」として知らしめている。
発見の歴史と地域的背景
戸来村(現・新郷村)は、十和田湖の東に位置する人口約2,600人の小さな山村だ。1934年、村長の佐々木伝次郎が観光振興のため日本画家の鳥谷幡山を招いたことが、キリストの墓と大石神ピラミッドの発見のきっかけとなった。鳥谷は超古代文明の存在を信じ、戸来村を「神都」と結論づけ、竹内巨麿が「竹内文書」に基づきキリストの墓を特定したとされる。文書によれば、キリストはゴルゴダの丘で磔刑に処されず、弟の「イスキリ」が身代わりとなり、キリスト自身は日本に逃れ、106歳で没したという。大石神ピラミッドは、翌1936年に酒井勝軍がピラミッドとして認定し、太陽石や星座石などの巨石が古代の信仰を物語るとされた。戸来村の地名「ヘライ」がヘブライ語に由来するとの説や、子どもの額に十字を描く風習など、キリスト教との関連を思わせる要素が地域に根付いている。
地元の逸話と訪問者の声
キリストの墓の発見当時、地元住民は竹内一行の訪問を「黒塗りの車で来た得体のしれない人々」と記憶し、驚きとともに語り継いできた。ある住民は、墓のある沢口家の裏山に「偉い人の墓」との言い伝えがあったと証言したが、キリストとの関連は知らなかったという。毎年6月に開催される「キリスト祭」では、「ナニャドヤラ」と呼ばれる謎の盆踊りが奉納され、ヘブライ語の進軍歌との関連を指摘する声もある。大石神ピラミッドでは、訪問者が「太陽石の周囲で不思議な気配を感じた」と語る一方、「ただの岩にしか見えない」との感想も。SNSでは、「キリストの墓とピラミッドの標識を見ただけでワクワクした」との投稿が散見され、オーパーツとしての魅力が広がっている。
オーパーツとしての謎
大石神ピラミッドとキリストの墓の謎は、その起源と目的にある。ピラミッドは、太陽石や方位石が正確に東西南北を示し、星座石には古代の星座が刻まれているとされるが、地震で倒れた鏡石の文字は確認できない。5万年前という年代は、エジプトのピラミッド(約4,500年前)よりはるかに古く、自然の山を利用した構造も独特だ。酒井勝軍は、これを古代の山岳信仰の象徴と定義したが、巨石の配置や運搬方法は当時の技術では困難とされる。キリストの墓については、「竹内文書」の真偽が最大の論点だ。文書はキリストが日本で暮らしたと主張するが、歴史的・考古学的証拠はなく、多くが偽書とされる。それでも、戸来村の風習—子どもの額に十字を描く習慣や、六芒星に似た家紋—は、オーパーツとしての神秘性を高める。
現代における影響と象徴性
キリストの墓と大石神ピラミッドは、戸来村の観光資源として重要な役割を果たしている。キリストの墓は「キリストの里公園」に整備され、併設の「キリスト伝承館」では竹内文書の資料や解説パネルが展示される。地元の売店「キリストっぷ」では、「キリストのハッカ飴」や「キリスト聖米」といったユーモラスなグッズが人気だ。大石神ピラミッドは、トレッキングコースとして訪れる者を惹きつけ、「しんごうホワイトイルミネーション」などのイベントでミステリーゾーンとしてPRされる。テレビや雑誌、ムー編集部の展示など、オーパーツとしての知名度は国内外に広がり、村おこしに貢献している。2004年にはイスラエルから友好の石碑が寄贈され、国際的な注目も集める。これらの遺跡は、古代の信仰と現代の好奇心をつなぐ象徴となっている。
独自の視点:伝説と地域のアイデンティティ
戸来村のオーパーツを考えるとき、竹内文書の影響と地域のアイデンティティが交錯する点が興味深い。文書は、キリストやピラミッドだけでなく、モーゼの墓やエデンの園(迷ヶ平)など、壮大な物語を展開するが、歴史的根拠は薄い。それでも、戸来村の風習や地名がキリスト教やヘブライ文化を連想させるのは、偶然か意図的な物語の構築か。たとえば、「ナニャドヤラ」の歌詞は意味不明だが、音の響きがヘブライ語に似ているとの解釈は、村の神秘性を高める。ピラミッドの巨石群は、自然信仰や山岳崇拝の名残とも考えられ、古代日本のアニミズムとリンクする可能性がある。オーパーツとしてのこれらの遺跡は、戸来村に独自の文化的物語を与え、現代の観光や地域振興に活力をもたらしている。
地域の反応と未来への遺産
戸来村(新郷村)の住民にとって、大石神ピラミッドとキリストの墓は、誇りであると同時に議論の的だ。地元では、観光振興に貢献するとして歓迎する声がある一方、戦前・戦中の「英米の宗教」とのレッテルから冷ややかな視線もあった。郷土史家の葛西覧造は「面白いが不十分」と評し、科学的検証を求める声も根強い。それでも、キリスト祭やイルミネーションイベントは地域の結束を強め、訪れる観光客に新たな物語を提供する。未来に向けて、オーパーツとしてのこれらの遺跡は、考古学的調査や科学的分析により新たな発見が生まれる可能性を秘める。戸来村の神秘は、これからも多くの人々の想像力を掻き立て、未知の歴史を紐解く鍵となるかもしれない。
当HPに寄せられたキリストの墓へのコメント(2015)
かの有名なキリスト教の教祖、
イエス・キリストの墓がなんと日本にあるという
いかにも都市伝説らしい噂がある。場所は青森県三戸郡新郷村戸来。
そこにはキリストの墓とされる十字架が立ち、
慰霊祭まで行われているというのだ。しかしご存知のとおり、イエス・キリストは日本よりはるか彼方の地、
ゴルゴダの丘にて磔刑に処され、三日後復活するも、
天に召されたとされている。一体どういうことなのだろうか。学者の話によれば、実はキリストは20代の頃に日本を訪れていたという。
そして帰国後、磔刑に処されたのは、実は身代わりである
弟のイエス・キリストだったというのだ。本物のイエス・キリストは磔刑を逃れたのち世界各地へ変遷し、
のちに日本に舞い戻り、そこで妻を娶った。3人の娘にまで恵まれ、100歳を超える大往生をとげ
命を全うしたらしい。そして村にはキリストの子孫といわれる者達もいて、
彼らは眼が青く、日本人離れした顔立ちをしているらしいのだ。この地には他にもキリストにまつわるように思える不思議な風習がいくつもある。
生まれた子を始めて戸外に出すさいには
無病息災を祈り額に十字をかいたり、
盆には木を十字に組んで電球をぶら下げた十字架を家の前にぶらさげ、
死者の魂を迎え入れるというのだ。十字架といえばキリスト教の代名詞ともいえるものである。
また、慰霊祭のときに踊る盆踊りには、
ヘブライ語で神を称えているという意味をもつとされる
「ナニャンドヤラ」という歌が用いられているのだ。キリスト磔刑後もイエス・キリストに関する都市伝説は世界各地に多くある。
日本とは関わりの薄いと思われるキリストだが、
実は深いかかわりがあったのかもしれない。


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