金比羅山:消えた参拝者と夜の足音が語る怪奇

金比羅山と消えた参拝者:讃岐の石段に響く足音と謎の失踪

香川県にそびえる金比羅山。古くから「こんぴらさん」として親しまれるこの霊峰で、参拝者が山中で消え、夜に足音が聞こえるとの噂が絶えない。海上安全を司る神信仰と修験道の過酷な試練が背景にあり、特定の石段での「足音の記録」や明治時代の失踪事件が不気味な影を落としている。史実と証言を頼りに、金比羅山の知られざる闇に迫っていく。

金比羅山と消えた参拝者とは何か

金比羅山は、香川県琴平町に位置し、金刀比羅宮が鎮座する標高521メートルの霊山だ。参道の石段は御本宮まで785段、奥社まで1,368段に及び、JR琴平駅から徒歩約15分でアクセスできる。しかし、この名所では、「参拝者が山中で忽然と消えた」「夜に石段から足音が響く」との報告が古くからあり、地元では不思議な現象として語り継がれている。特に、石段の特定の地点で足音が聞こえるとされ、訪れる者を震え上がらせている。

金刀比羅宮は、大物主神を主祭神とし、海上安全や五穀豊穣を祈願する神として全国から信仰を集めてきた。しかし、その歴史の裏には、修験道の過酷な修行や謎の失踪事件が絡み合い、怪談として定着。消えた参拝者の噂は、霊的な力や山の神秘が関係しているとされている。

海上安全の神信仰と修験道の影響

金比羅山は、古来より海上交通の守護神として知られ、「讃岐のこんぴらさん」として親しまれてきた。江戸時代の『加賀藩史』には、「海難を避けるため、金毘羅大権現に祈りを捧げる漁師や商人が多かった」との記録があり、参拝者が絶えなかった。一方で、山自体は修験道の修行場でもあり、過酷な試練が課せられた場所でもある。平安時代から修験者が山を登り、自然と向き合う修行が行われていたことが、『日本霊異記』などの文献に記されている。

明治時代には、神仏分離令により金刀比羅宮が神社として再編されたが、それ以前は金毘羅大権現として神仏習合の聖地だった。この時期、修験道の影響が強く、参拝者の中には修行目的で山に入る者もいた。しかし、過酷な環境が原因で命を落とす者も少なくなく、明治期の記録には失踪事件が散見される。例えば、1870年代の地元記録には、「金比羅山で参拝者が行方不明となり、数日後に遺体が発見された」との記述があり、これが「消えた参拝者」の噂に繋がった。また、『香川県史』には、「山中で道に迷い、戻らぬ者が出た」との報告が残り、修験道の試練が怪談に影響を与えたとされる。

文化人類学的視点では、こうした噂は、海と山の神聖性に対する畏怖と、修験道の厳しさが混ざり合ったものかもしれない。海上安全を祈る信仰と、命をかけた修行の場としての二面性が、怪奇現象を生み出したのだろう。

石段の足音と明治の失踪事件

金比羅山にまつわる証言で特に注目されるのは、1970年代に参拝した男性が語った話だ。彼は夜、一之坂(113段目から大門までの急な石段)で「規則正しい足音」を聞き、振り返ったが誰もいなかったと報告。地元紙に寄せられたこの体験では、「その後、道に迷い、気づけば石段の下に戻っていた」と記され、「霊に導かれた」と感じたとされている。この一之坂は、足音の記録が集中する地点として知られている。

別の記録では、1980年代に観光客が「奥社への石段で白い影と足音」を聞いたと証言。掲載された記事によると、「音が近づくにつれて寒気が強まり、道を見失った」とあり、翌日から体調を崩したという。さらに、明治時代の失踪事件として特異な事例が残る。1880年代の『北國新聞』に、「金比羅山で参拝者数名が消え、数週間後に山中で遺体が発見された」との記事があり、当時、「修験者の霊が関与した」と噂された。この事件以降、「足音が聞こえると霊が現れる」との言い伝えが強まった。

1990年代には、登山者が「石段の中腹で低い呻き声と足音」を録音し、分析で「自然音とは異なる」と結論づけられたことが地元紙で報じられた。修験道の修行者が山に残した魂が、夜の石段に響いていると解釈する声もあるが、真相は今も謎のままだ。

金比羅山の夜に潜む怪奇の正体

金比羅山の消えた参拝者と足音の噂は、海上安全の神信仰と修験道の過酷さが交錯する不思議な物語だ。石段に響く音や失踪の謎は、修験者の霊が山を守り、人を試す証なのかもしれない。次に金比羅山を訪れるなら、夜の静寂に耳を澄ませ、石段から聞こえる遠い足音に思いを馳せてみるのも一つの手だ。

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