夏休みに入り、
待ちに待った家族旅行の日の出来事です。その日は、夏休みという事もあり、父と母と私、
そして、もう1人幼馴染の子を誘って、
一緒に旅行に行きました。いつものように楽しく談笑しながら車を走らせていると、
そこには踏切がありました。見通しは良いのですが、
線路とアスファルトの間が大きくて、
通り抜けるのに少し緊張します。行楽地に早く着きたい気持ちもあって、
急いでいたせいか、その溝にハマってしまい
更にエンストしてしまいます。父は懸命に立て直そうと頑張りますが、
焦れば焦るほど状況は最悪になっていきます。もはや発炎筒をつけたり、
非常ボタンを押したりする暇もなく
遮断機が降り電車が来てしまいました。父が「もうだめだ、みんな脱出しろ」と言い残し、
父と母は踏切外に脱出します。しかし、私と幼馴染の子は、
まだ小学校に入ったばかりだった事もあり、
その意味が良く分からず、車の中に居ました。当然、轢かれました。
救急車が来て病院に運ばれる訳ですが、
私が目が覚めたのは、それから約2週間後です。その時の医師の判断では、私には意識がなく、
このまま脳死になって死んでしまう可能性が高いので
重体と両親に言い渡したそうです。対して幼馴染の子は、痛い痛いと良く泣くものの
意識がしっかりしており医師の質問にも答えられる事から
重傷と判断され、治療を続ける事で回復すると言い渡されたそうです。しかし、生死の結果は逆になってしまいました。
私は2週間後に意識を取り戻し、
約半年の入院生活を得て、順調に回復し退院します。対して幼馴染の子は最初こそ泣いていたものの
1週間後に容態が悪化し、昏睡に陥り亡くなってしまいました。その当時の私の半年間に及ぶ入院生活での出来事です。
両親の話では、毎日、食事の時には
壁の方に向けて食べさせて上げている行動を
していたそうです。両親や看護師さんが「何してるの」と聞くと
「〇ちゃん(幼馴染の子)がここに居るの。
お腹すいてるんだって」と言っていたそうです。
そして夜寝る時は枕を2つ用意していたそうです。
それについても聞かれると「〇ちゃんが一緒に寝たいんだって。
枕がないと可愛そうだよね」って言っていたそうです。
そのような行動が3ヶ月ほど続き、
さすがに心配した両親は「幼馴染の子の慰霊と、
正式なお墓参りをしよう」という話になり、
墓前で謝罪し、事情を説明したそうです。それから数日後、
入院中の私の行動が変わったそうです。壁に食べさせる事も、2つの枕も、
ピタッと辞めたそうです。それについても聞かれると
「〇ちゃん、もう来なくなっちゃったの。
バイバイしたの」と言ったみたいです。
最後に、この内容文について説明します。
これは親戚の家庭で起きた実話です。本文中の私というのは、母の従兄弟です。
怖いという気持ちもありますが、
犠牲者に対する敬意という気持ちが強いです。


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