仕事の都合で北海道の小さな街に暮らしていたころ、
わたしには人に言えない奇妙な趣味がありました。深夜になると家の屋上へ上がり、
双眼鏡で街を観察するのです。そんなことを告白すれば、
きっとカーテンを締め忘れた女子学生でも覗いていると
思われるにきまっています。誓って言いますが、本当にそうではないのです。
わたしにとって、いつもとは様子の違う静まり返った
夜の街が魅力的に思えたのです。暗闇に佇む古びた給水タンク、
路端にぽつんと佇んでいる自動販売機。そうした全てが昼間とは違う存在に見えて奇妙に心が踊りました。
街の西側からわたしの家のほうへ向かっては、
長い上り坂がありました。屋上にあがって坂のある方を見ると、
暗闇に沈む街のなかを街頭に照らされて
滝のように浮かびあがる上り坂を一望できました。ある日、坂道の脇にある寂れた公園を眺めていると、
視界の端に素早く動くなにかが映りました。それは、なにか恐ろしいものを見たかのように
大きく目を見開いた真っ白な子供で、信じられない速度で
坂道を駆け下りてくると、脇にある公園へ入ろうとしました。その時です。
ゆっくりとスピードを落として足を止めた子供は、
フクロウのようにぐるりと首を回すと、レンズ越しに私の目を見つめました。すると、子供は私の目を見たまま、
まっすぐこちらへ向かって走りだしたのです。たかが子供。
小さな子供なのですが、
得体の知れない恐怖に襲われた私は混乱し、怯えました。慌てて屋上からベランダへ降りると窓の鍵をしめました。
ほどなくして、何かが屋根の上を這いまわる足音が
静かな部屋に響き渡りました。わたしは恐怖のあまり部屋の中に棒立ちで固まっていました。
屋根の上の何者かがベランダに飛び降り、
小さな手で窓を叩く音が聞こえてきました。ぺち。ぺち。ぺち。ぺち。
私は部屋を飛び出ると玄関へ向かいました。
外へ出れるように靴を履いて土間に降りたまま、
すぐにドアを開けれる態勢で耳を澄ませました。”あれ”は、子供の形をしたなにかは、今どこにいるのだろう。
窓から家の中に入ったのか、まだ外に居るのか。わたしは安全なのか、
いまにも廊下の角からあの子供があらわれるのか。結局、私は日が昇って外が騒がしくなるまで、
そうして玄関で怯えていました。朝になり、街の喧騒に勇気づけられた私は家のなかを見まわりましたが、
どこにも子供の姿などありませんでした。部屋のなかにも誰もおらず、
安心してカーテンを開けたわたしの目に飛び込んできたのは、
朝日に照らされ浮かび上がった、無数の小さな手形でした。それから、二度と屋上へ上がりませんでした。


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