ある年の秋頃、北海道で経験した話。
私は住み込みで働いており、
その日は札幌から勤務先に帰るために
ひとりで歩いていた。車も人もあまり通らないような、
人気のない並木道。そこまで長い道ではなく、
いつもなら20分程度で通り抜けられる。ずっとまっすぐなので迷う心配はない。
出口の近くに馬の絵が描かれた古い看板があって、
私はいつもそれを目印にしていた。その日は横殴りの風も吹きつける土砂降りだった。
18時半ごろで、辺りは真っ暗で怖かった。馬の看板が見えてくるまでの辛抱だと自分に言い聞かせ、
ダウンコートの襟に顔をうずめてフードをかぶり、
イヤホンで音楽を聴きながら早足で歩いていた。歩いていくうちに、どうもおかしいなと思い始めた。
オフラインで聴いていたので、
画面に触らないと一時停止されないはずなのだが、
ぶつぶつと音楽が途切れてはまた始まる。スマホもカバーも、ポケットの中も乾いている。
手では触っていない。それでもシーンと静かなのよりはマシなので
意地で聴いていたら、
突然「…もしもし」と耳の奥で声がした。心臓が止まりそうになった。
思わず立ち止まってスマホを見ると、
なぜか勤務先の上司との通話画面になっていた。上司の声色から見るに、
私の方からかけてしまっていたらしい。とりあえず、間違えてしまったみたいですと
謝って電話を切った。帳面型のスマホカバーでふたをし、
電源は切っていた(落としてはない)。ポケットの中でこぶしをつくっていた
私の指が誤作動を起こしたはずはない。不気味になって、
音楽を聴くのを止めて再び歩き出した。一番怖かったのはこのことではない。
その時点で、40分は歩き続けていた。普段ならもうとっくにこの道を抜けて
勤務先に到着している。いつもより早足で歩き続けているのだから
なおさらおかしい。雨足はますます強くなっていた。
向かい風の中を必死で歩いた。たぶん競歩みたいになっていただろう。
馬の看板がようやく見えてきて、
なんとか道を抜けた時、
私の腕時計は19時半を知らせていた。


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