剣山剪宇峠に響く大蛇の伝説
西日本第2の高峰である徳島県の剣山(標高1955メートル)は、険しい自然と神秘的な雰囲気に包まれた山として知られている。その麓、美馬市穴吹町古宮と美馬郡つるぎ町一宇にまたがる剪宇峠(標高870メートル)には、古くから巨大な蛇が棲むという伝説が息づいている。1974年、この静かな峠で複数の住民が体長10メートルを超える大蛇を目撃し、全国的な話題に発展したことで、伝説は一気に現実味を帯びた。地元の言い伝えと現代の目撃談が交錯するこの場所は、今もなお訪れる者の好奇心を掻き立てる。
伝説の起源と剣山の歴史
剣山周辺は、古くから山岳信仰の対象とされ、修験者たちが修行に励む聖地だった。剪宇峠の大蛇伝説も、こうした自然崇拝に根ざしている可能性が高い。地元に残る口碑では、「峠の開拓に出た者たちが大蛇に襲われ逃げ帰った」「剣術の達人が大蛇と戦い切り殺した」といった話が伝えられている。具体的な年代は不明だが、こうした言い伝えは、蛇を山の守護神や自然の脅威と見なす日本古来のアニミズム的感覚を反映している。剣山の峻厳な地形や豊富な水系が、蛇神信仰と結びついたと考える研究者もいる。
歴史を遡れば、剣山周辺は古代から人が暮らす土地であり、峠は地域をつなぐ重要な道だった。こうした環境で語り継がれた大蛇の話は、自然と人間の共存の中で生まれた物語かもしれない。1974年の目撃事件以前にも、地元では「峠で奇妙な影を見た」という証言が散発的にあり、伝説が単なる空想ではない可能性を示唆している。
1974年、剪宇峠の大蛇目撃事件
剪宇峠で最も注目される出来事は、1974年5月に起こった大規模な目撃事件だ。この日、森林の下草刈りに来ていた5人の男性が、体長10メートルの大蛇を目撃した。証言によれば、その胴の直径は30センチ以上、色は黒くお腹が白い特徴的な姿だったという。大蛇はすぐに草むらに隠れてしまったが、この話が広まると地元は騒然となった。ほどなくして大蛇探検隊が結成され、全国ネットのテレビや新聞、雑誌がこぞって取り上げた。
探検隊が現地を調査したところ、幅40センチの這った跡や、杉の木に残る異常なこすれ跡が発見された。しかし、大蛇そのものを再び見つけることはできず、地元警察や消防団も警戒にあたったものの、その後の目撃情報は途絶えた。ある参加者は「草が倒れた跡を見て背筋が凍った」と振り返り、別の者は「木の傷が自然のものとは思えなかった」と語る。これが現実なのか錯覚なのか、真相は霧の中に隠されたままだ。
科学的視点と大蛇の正体
10メートルもの大蛇が存在する可能性について、科学的な観点から考えると疑問が残る。日本に生息する蛇で最大のものはヤマカガシやシマヘビだが、いずれも2メートル程度が限度だ。一部では、「ニシキヘビのような外来種が逃げ出したのでは」と推測されるが、剪宇峠周辺に動物園はなく、過疎地で誰かが密かに飼育していた可能性も低い。仮に小さな蛇が異常成長したとしても、10メートルに達するには膨大な餌と時間が必要で、現実的とは言い難い。
別の角度から見れば、霧や光の錯覚、風による草の動きが巨大な蛇のイメージを作り出した可能性もある。1974年の目撃者たちが感じた恐怖や興奮が、記憶を誇張させたのかもしれない。それでも、這った跡や木の傷跡といった物理的な証拠は、単なる幻覚では片付けられない不思議さを残している。
当HP読者の考察
西日本第2の高峰・徳島県の剣山(標高1955メートル)。
その麓にある美馬市穴吹町古宮と美馬郡つるぎ町一宇に
またがる剪宇峠には、古くから大蛇伝説があります。しかも40年ほど前、複数の住民が目撃し、
大蛇探検隊まで結成されました。当時は全国ネットのテレビ放送や新聞、
雑誌に取り上げられ、大騒ぎとなったのです。大蛇が目撃されたのは、1974(昭和49)年の5月です。
森林の下草刈りに来ていた男性5人が
体長10メートルもの大蛇を目撃しました。すぐに大蛇は草むらに隠れて見えなくなったようですが、
目撃者は胴の直径が30センチ以上あったと証言しています。
体の色は黒く、お腹が白かったそうです。この話を聞いて大蛇探検隊が組織されました。
残念ながら大蛇を発見することはできませんでしたが、
雑草が倒れたあとに幅40センチの何かが這った跡が見つかりました。さらに杉の木には幹に異常なこすれた跡と、はげ落ちた部分が見つかりました。
しかし、その後地元の警察や消防団も警戒に当たったのですが、
大蛇は姿を見せませんでした。地元には峠の開拓に出た人たちが大蛇に襲われて逃げ帰ったとか、
剣術の達人が峠を越えていたところ、
大蛇と戦って切り殺したとかいう言い伝えが残っています。この言い伝えがいつの頃のものなのかは分かりませんが、
かなり古くから目撃例があったと考えてよさそうです。剣山剪宇峠は標高870メートルで、冬は雪に閉ざされます。
過疎地であり、近くに動物園もありません。
小さなヘビが何らかの理由で巨大化したとか、こっそり飼っていたニシキヘビが逃げ出したとかいわれていますが、
真相は分からないままです。
地域性と現代への影響
剪宇峠は、剣山の麓に位置する過疎地で、冬には雪に閉ざされる厳しい環境だ。この孤立した土地柄が、大蛇伝説を育む土壌となったのだろう。地元の子供たちは「峠には大蛇がいるから近づくな」と親から聞かされ、こうした話が地域の文化として根付いている。1974年の事件後、探検隊の活動やメディアの報道が一時的に注目を集めたが、現在では静かな山道に戻っている。
特異なエピソードとして、事件後に訪れた好事家が「峠の霧の中で奇妙な音を聞いた」とSNSに投稿したことがある。明確な証拠はないものの、こうした話が伝説に新たな層を加えている。登山者や伝説好きの間で、「剣山に行けば何かが見えるかも」と語られることもあり、ミステリーが地域に静かな息吹を与えている。
剪宇峠を歩くということ
剣山剪宇峠の大蛇伝説は、古の言い伝えと1974年の目撃事件が交じり合い、独特の魅力を持つ。霧深い峠を歩けば、草木のざわめきや遠くの風音が、まるで大蛇の気配のように感じられるかもしれない。ある登山者は「何も見えなかったけど、峠の静けさが異様だった」と語る。その不思議な空気は、訪れる者に自然の奥深さを教えてくれるだろう。
次に徳島を訪れるなら、剪宇峠に足を伸ばしてみてはどうだろう。伝説の真相を探りつつ、山の静寂に耳を澄ませる時間が、特別な体験になるはずだ。
2019年4月16日 at 7:22 PM
剪宇峠の大蛇探検に参加した者です。昭和50年の5月頃であったと思います。製薬メーカの社員+卸さんの社員が中心で10人~15人程度であったと思います。前夜穴吹の議員様のお宅で大壮行会をやって頂き泊めて頂きました。翌日マイクロバスでふもとまで行き、フーフー言いながら登りました。幸か不幸か大蛇とは遭遇しませんでした。頂上には阪大(?)の生け捕りの仕掛けがありました。大蛇発見の時は四国放送(?)に第一報を入れる用意もしていました。某病院の看護婦さんも参加されて、マムシ対策に「マムシ抗毒素」持参等皆さん本気で取り組みました。あれから40年以上経ちましたがつい昨日のように思いだします。
2020年11月25日 at 8:23 PM
10Mを超えると150年生きるらしいです 1989年と2020年探しにいきましたがだめでした 2020年12月行きます 可能性あります
2020年12月12日 at 3:51 PM
コメント拝見しました中で、?と感じたので教えてください。
2020年12月に行かれるとの事・・・。この頃は、ヘビ類は冬眠中のはずですが、どうやって探しだそうとしているのか 教えてほしいです。発見を期待していますが、その点をよろしく。