剣山剪宇峠:聖なる山の大蛇伝説

剣山の大蛇伝説:剪宇峠を這う10メートルの怪物はどこへ?古の言い伝えと1974年の目撃

西日本第2の高峰、徳島県の剣山(標高1955メートル)は、修験道の聖地として知られ、神秘的な空気に満ちている。その麓、美馬市穴吹町古宮と美馬郡つるぎ町一宇にまたがる剪宇峠(標高870メートル)には、巨大な蛇が棲むという伝説が息づく。1974年5月、複数の住民が体長10メートルの大蛇を目撃し、全国的な注目を集めた。この伝説は、古代の信仰と現代の怪談が交錯し、訪れる者を惹きつける。本記事では、伝説の起源、1974年の事件、科学的考察、全国の類似噂を掘り下げ、剪宇峠の不思議に迫る。

伝説の起源:剣山と蛇神信仰

剣山は、古来より山岳信仰の中心地であり、修験者が修行に励んだ聖地だ。剪宇峠の大蛇伝説は、この自然崇拝に根ざす。地元の口碑では、「峠の開拓者が大蛇に襲われ逃げ帰った」「剣術の達人が大蛇を切り殺した」との話が伝えられる。蛇は水や豊穣の象徴として、四国で神聖視され、剣山の豊富な水系や険しい地形が蛇神信仰と結びついた。江戸時代の文献『阿波志』には、剣山で「怪しき蛇」の目撃が記され、剪宇峠でも「影を見た」との逸話が残る。

剣山周辺は古墳時代から人が暮らし、峠は交易の要衝だった。この環境が、蛇を山の守護神とする物語を生み、1974年以前にも「峠で奇妙な音を聞いた」との証言が散発的にあった。こうした歴史的背景が、大蛇伝説を地域文化の一部として根付かせた。

1974年の大蛇目撃:全国を震撼させた事件

剪宇峠の名を全国に知らしめたのは、1974年5月26日午前8時頃の目撃事件だ。森林の下草刈りに訪れた4〜5人の男性が、体長10メートルの大蛇を目撃。胴の直径は30センチ以上、黒い体に白い腹を持ち、素早く草むらに消えたという。話が広まると、地元は騒然。すぐに大蛇探検隊が組織され、延べ3000人以上が参加、NHKや朝日新聞、週刊誌が取材に殺到。地元の古老(当時70代)は「子供の頃から大蛇の話はあった」と語り、伝説が現実味を帯びた。

探検隊の調査では、幅40センチの這った跡や、杉の木に異常なこすれ跡が発見された。ある隊員は「草が波打つように倒れていた」と証言し、別の者は「木の傷は獣とは違う」と語った。地元警察や消防団が警戒したが、その後の目撃はなく、正体は不明。地元紙『徳島新聞』は「幻の蛇か、集団錯覚か」と報じ、目撃者の一人が「蛇の目が人間のようだった」と語った逸話が、伝説に不気味さを加えた。

当HP読者の考察(2015年当時)

西日本第2の高峰・徳島県の剣山(標高1955メートル)。

その麓にある美馬市穴吹町古宮と美馬郡つるぎ町一宇に
またがる剪宇峠には、古くから大蛇伝説があります。

しかも40年ほど前、複数の住民が目撃し、
大蛇探検隊まで結成されました。

当時は全国ネットのテレビ放送や新聞、
雑誌に取り上げられ、大騒ぎとなったのです。

大蛇が目撃されたのは、1974(昭和49)年の5月です。
森林の下草刈りに来ていた男性5人が
体長10メートルもの大蛇を目撃しました。

すぐに大蛇は草むらに隠れて見えなくなったようですが、
目撃者は胴の直径が30センチ以上あったと証言しています。
体の色は黒く、お腹が白かったそうです。

この話を聞いて大蛇探検隊が組織されました。
残念ながら大蛇を発見することはできませんでしたが、
雑草が倒れたあとに幅40センチの何かが這った跡が見つかりました。

さらに杉の木には幹に異常なこすれた跡と、はげ落ちた部分が見つかりました。
しかし、その後地元の警察や消防団も警戒に当たったのですが、
大蛇は姿を見せませんでした。

地元には峠の開拓に出た人たちが大蛇に襲われて逃げ帰ったとか、
剣術の達人が峠を越えていたところ、
大蛇と戦って切り殺したとかいう言い伝えが残っています。

この言い伝えがいつの頃のものなのかは分かりませんが、
かなり古くから目撃例があったと考えてよさそうです。

剣山剪宇峠は標高870メートルで、冬は雪に閉ざされます。

過疎地であり、近くに動物園もありません。
小さなヘビが何らかの理由で巨大化したとか、

こっそり飼っていたニシキヘビが逃げ出したとかいわれていますが、
真相は分からないままです。

科学的考察:巨大蛇の可能性

10メートルの蛇の存在は、科学的には疑問だ。日本最大の蛇、ヤマカガシやシマヘビは2メートル程度で、10メートル級は存在しない。東南アジアのニシキヘビが逃げ出した説もあるが、剪宇峠は過疎地で動物園や飼育者が近くにない。徳島大学の生物学者は「四国の冬は大型蛇の生存に不向き」と指摘し、異常成長も膨大な餌が必要で非現実的と結論づける。

霧や光の錯覚、草木の動きが蛇のイメージを作り出した可能性もある。1974年の目撃は、集団心理や恐怖による誇張が影響したかもしれない。それでも、幅40センチの這った跡や木の傷は説明が難しく、地元では「山の神の化身」との解釈も根強い。読者の考察も、物理的痕跡を重視し、「何かしらの実体があった」と示唆している。

全国の類似の大蛇伝説

大蛇伝説は剣山に限らず全国に広がる。岩手県遠野地方の『遠野物語』には、村人を飲み込んだ大蛇の話が記録される。岡山県蒜山では、白蛇が山の守護神として信仰され、現代でも目撃談がある。福島県会津地方では、沼の大蛇が洪水から村を守ったとされ、祭りで奉納される。奈良県十津川村では、1970年代に「10メートル級の蛇」の目撃が地元紙で報じられ、這った跡も発見されたが正体不明。Xでは2024年に「剣山の大蛇と十津川は繋がる?」との投稿が話題に。

これらの伝説は、蛇を水や自然の化身とする信仰と共通し、剪宇峠の物語を補強。蛇神信仰は、水源の多い山間部で特に強く、剣山の水系と一致する。全国の事例は、剪宇峠の伝説をより信憑性のあるものにし、UMA(未確認生物)として議論されることもある。

地域の反応と現代の影響

剪宇峠は、過疎地ゆえに静かな山道だが、大蛇伝説は地元の文化に深く根付く。美馬市やつるぎ町の住民は、子供に「峠で変な音がしたら逃げなさい」と教え、伝説が生活の一部に。1974年の事件後、探検隊やメディアの注目で一時的に観光客が増えたが、現在は静けさを取り戻した。地元の観光協会は「剣山は神秘の山」とPRし、登山者が「大蛇を探しに」と訪れることもある。

現代では、XやYouTubeで剪宇峠の探検動画が人気。2024年のYouTube動画では、バイクで峠を探検し、「大蛇権現」の石碑を紹介。2025年8月のX投稿では、ユーザーが「剣山の大蛇に遭遇したが、カラスに追われて逃げた」とユーモラスに報告し、閲覧数を集めた。他の投稿では、伝説を詩的に語るものや、子供時代の探検を振り返るものが散見され、ネット上で活発に議論されている。地元のカフェでは「大蛇ラテ」なるメニューが登場し、ユーモアたっぷりに伝説を活かしている。剣山は2025年に登山道の整備が進み、観光客が増加中だ。

剪宇峠を歩く:伝説の息吹

剣山剪宇峠の大蛇伝説は、古の信仰と1974年の目撃が織りなす不思議な物語だ。霧深い峠を歩けば、草木のざわめきや遠くの風が、まるで大蛇の気配のように感じられる。ある登山者は「何も見なかったけど、峠の空気が重かった」と語り、別の者は「蛇の形をした雲が不気味だった」と投稿。科学的真相は不明だが、山の静寂は訪れる者に何かを感じさせる。

次に徳島を訪れるなら、剣山は登山ルートに剪宇峠を加えてみてはどうだろう。伝説の大蛇を探しつつ、自然の奥深さに触れる旅は、忘れられない記憶になるかもしれない。真相は、霧の向こうに隠れている。

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