30年以上前の話になりますが、父親の転勤により本州から家族揃って札幌市に引っ越しをしたことがあります。家族が住む住宅は2階建ての小さなアパートでしたが、直ぐ近くには13階建ての公営マンションがあり、コの字型に3棟がありそれぞれ1号棟、2号棟、3号棟と外壁に看板を取り付けている物件がありました。

当時の私は小学校3年生でしたが、この札幌の地域では転勤族が非常に多く、若い世代の家族が多いことが特徴でした。学校では沢山の友人が出来ましたが、同じ学年の友人や殆ど全ての学年の子供が公営マンションに住んでいる環境です。

私も友人の中で5名が1号棟から3号棟まで全ての棟に住んでおり、当時はコの字型の中央のスペースでボール遊びや追いかけっこなどで遊ぶことがあり、日中に関しては賑やかな環境だったことも懐かしい記憶です。

ところが後に知ったのですが、この公営住宅の特に2号棟の13階の共用通路の窓から飛び降り自殺をする人が多いという話を友人から聞いており、実際に私が小学校を卒業するまでの約4年間で6名の自殺者が出てしまったことは確認しており、その都度、友人から話を聞くことで知り、1度だけ土曜日の深夜に自殺された方がいて、日曜の朝に友人が迎えに来たことがあります。

2号棟の現場前まで友人と向かった時には、供養するお坊さんが来ていたことと、警察官が複数名いたこと、ご遺体が倒れていた場所には洗浄後ではありましたが、人の内蔵と思われる破片や地の痕跡なども目の当たりにしました。

古くから自殺のメッカとなっていたようで、夜間には友人たちと肝試しをするなど良くない行動をしてしまったことがありますが、これは全て事実です。その後は私の家族は近隣の市に家を建てたので小学6年生の卒業後には新しい環境で中学生活を送ることになり、かつての友人たちとは疎遠になりました。

その後、長い年月が経過し、社会人になって仕事をするようになってからは営業マンとして活躍していましたが、顧客先へと移動する際に公営住宅の近くを走行することがあり、停車をして公営マンションを見に行ったことがあります。

すると30年以上の月日が流れているので、外壁はお洒落な色へと塗り替えが行われており、以前はコの字型の中央スペースには自由に遊べる場所でしたが、現在では駐車場に変わっていました。

更に街灯を中央スペースに沢山設置していることも確認できたので、恐らくではありますが夜間でも中央スペースは明るさを保っているので自殺者も出なくなったと推測している次第です。

現在お住いの方たちは過去の事件を知らない方が殆どではと考えられ、今となっては昭和時代を知る人だけの伝説のようになっていると実感しております。