センセーショナルなものや残酷な事件に、
人はひきつけられる要素を持っている気がします。

私が日本の残酷な事件と聞いて思い浮かべるのは
伝説的な阿部定事件です。

時は昭和11年、仲居だった阿部定という女性が、
愛の営みの最中に、愛人であった相手の局部を
切り取ってしまったという事件
です。

この事件を聞くと、ある人は阿部定が自分の精神を
保つことができなかったのだろう
と思うことでしょう。

また、ある人は人間ではなくなったというかもしれません。
ある人はなんと恐ろしい女性なのかとおののくかも知れません。

前代未聞の事件に逮捕後の世間の驚きは大きかったようです。
相手は彼女が紹介で働き始めたその店の主人です。

どうしてこのような結末に至ったのでしょうか。
彼女と、この男の性的なつながりは不倫でした。

愛憎とも呼べる常識では考えられない夜を過ごし続けていたようです。

事件後の供述で阿部定は事情聴取で答えます
彼を殺したあと、私はとても楽になったと。

これは何を意味しているのでしょう。
彼女の混乱なのでしょうか。

彼女は局部を切り取った後、相手の体に「定」の文字を刻みます。
そして切り取ったものを三日間持ち歩いています。

恋多きこの定の心はどこにあったのでしょうか。
愛のない官能の渦巻く夜だったのでしょうか。

そこには安らぎはなかったのでしょうか。
私の理解は及ぶことはできません。

もしかしたらこの定の心の中を紐解くことができるのは、
犯罪心理学者や、精神科医なのかもしれません。

でもどこか、さびしげで寄る辺なき定のイメージが浮かぶのです。