200余年の徳川の時代、
有名な徳川吉宗のその次の代の家重が、
実は男性ではなく女性だったのではないか
という説
があります。

突拍子もない説だから誰も相手にしないような
この説にはとんでもない証拠があるそうです。

紀州徳川家の身分の低い女性の子どもとして
生を受け苦難の幼少期を過ごしてきている吉宗ですが、
紀州のお殿様になることさえかなわないと思われていた
吉宗が巡り巡って徳川宗家の跡取りとなるというのは
有名なところ
だとおもいます。

その吉宗が男子にめぐまれて生まれたのが
9代将軍家重
となり代々徳川が続くということですが、
近年の研究で家重のお墓をX線写真で撮ったところ
被葬者の体は女性の骨盤の形をしている
ことが
発見されたというのです。

女性には子宮があるため男性とは
骨盤の形が大きくちがいます

歴史書には家重は身体に障害を持って生まれたため
言葉もはっきり聞き取れず側用人が聞き伝えていた
という風になっている
そうです。

しかし、実はそれこそが女性であるということを隠すための
手段だったというのが新しい仮説
になるそうです。

女性の声をかくすため、また体が男性のようでない
華奢な体つきというのを隠すため、ということですが、
吉宗は実子をどうしても後に継がせるための
苦肉の策であった
とはいいますが、
一生隠し通せるのか疑問が残りはしますが、
お墓の中の骨盤の写真というのが女性説の信憑性が増します

これからさきもっと深く研究が続けられることができたら
新しい新事実がみられるかもしれませんね。