私には霊感がないように思います。
今まで霊気を感じたことはありません。
霊的スポットにいても全くわかりません。
お墓は気味が悪いと思います。
が、学生時代、武将の墓地で肝試しをやった時も、
京都の小さなお寺の奥の武将の首塚も、
何も感じないし、髪ざんばらの侍も出ませんでした。
さて、私には今年20歳になる息子がいます。
息子が小学生まで、URのアパートに住んでいました。
そのアパートは「出る」という話でした。
息子が2~3歳の頃、
和室から一直線に見える勝手口に向かって、
手を差し出すのです。
まるで誰かに、手に持っている何かを
差し出すような仕草でした。
繰り返すので、「誰かいるの?」と尋ねても
「誰もいない」というのです。
それでも同じ仕草をするのでした。
息子を怖がらせてはいけないので、
私はさりげなさを装いましたが、
息子は「見えて」いるような気がしていました。
その後、時折、あの息子の仕草はなんだったのだろうと
思い出すことがありました。
息子が小学校にあがって、いつ頃かのことです。
当時住んでいたのは、URの狭いアパートでした。
洗面所と洗濯場とトイレが、
狭いスペースに集められていました。
人一人が立てるだけしか、空間がありません。
その時私はトイレにいました。
トイレを出ると、ドアが壁にぶつかります。
トイレのまん前は、一人が立てるスペースがあるだけで、
洗濯機置き場です。
トイレから誰か出たら、
他の人はその場所に立てません。
私がトイレから出た途端、
たまたま洗面所の入り口にいた息子が、
私の立っていた場所を指差して言いました。
「今そこに、着物着た女の人がいた。すぐ消えた」
えっ。もしかして私、
突き抜けた?
息子の手前、さりげなさに努めましたが、
血の気が引きそうでした。
しかし、それにしても私の霊感のなさを痛感しました。
何しろ真後ろにいたか、
自分が突き抜けたかした「その人」のことを、
全く見事に感じなかったからです。
その後、息子は、
国道のいかにも事故がありそうな場所で、
「今、人が立ってた」と言ったりするのでした。
息子が小学生高学年になって、
アパートから、少し大きめの一戸建てに引越ししました。
その家には、息子曰く、足だけの誰か、
手だけの誰か、顔だけの誰かが、
あちこちいるらしかったのです。
息子が怖がるので、息子が移動するときは、
ついていかなければなりませんでした。
霊感皆無の私も、家中に「誰か」がいるとなると、
さすがに気味が悪く思いました。
しかし、購入した家だったので、
そこから出るわけにもいかず、私は悩んでいました。
それから様々なことが起こり、
息子は「誰か」のことを言わなくなりました。
見えなくなったそうです。
あれは結局、息子の想像上の存在だったのでしょうか。
本当に息子には霊感があり、見えていたのでしょうか。
もし本当に存在していて、
成長した息子が見えなくなっただけだとしたら、
私たちは今も、ばらばらの体と一緒に生活しているのでしょうか。
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