新潟県上越市にある人魚伝説公園には、
人魚にまつわる伝説があります。

小川未明の作「赤いろうそくと人魚」のモデルともいわれている人魚伝説
平成5年に、佐渡を望む雁子浜に記念碑が建てられました。

雁子浜の住吉神社が、まだ袴形という所にあったころの話です。

小高い丘の松林に明神様の境内が有り、
遥か彼方には佐渡ヶ島が夢の様に浮かんでいます。

鳥居の南側には常夜灯が並んで、
雨の日も雪の日も雪の夜も欠かしたこともなく献灯されて居ました。

そのころ、この常夜灯を目当てに
毎夜佐渡ヶ島から通って来る不思議な女が居ました。

一方雁子の若者は、気だての優しい男で、母親と二人暮しで
した、そして男には既に許嫁が居ました。

ところがふとしたことから、この佐渡の女と知合い、
毎夜、常夜灯を仲立ちにして語り合う仲になりました。

毎夜家を空けるので母親は若者に「お前は毎晩、毎晩留守にするが、
今晩一晩くらい家に居てあの娘とたまには話でもしたらどうだ」と引き止めました。

気の弱い男は覚悟を決め、常夜灯の献灯を休んでしまいました。
その翌朝の事、明神様の崖下は大騒ぎです。

白蝋の様な女の死体が上がっていたのです。

この騒ぎを聞き若者は、飛ぶ様に急いで来てみれば、
まさしくそれは佐渡の女でした。

一晩約束を破ったばかりにこの始末。
俺は何と罪深い事をしてしまったのだろうかと若者は深く後悔をしました。

しかし後悔は先立たず、この上は冥土でお詫びをしようと、
ついに若者は、佐渡の女の後を追って海へ身を投げてしまいました。

村の人達はこの純情可憐な二人を可愛そうに思い、
常夜灯の近くに二人を埋葬して、一箕の比翼塚をつくり、
地蔵尊を安置して、菩提を弔ってやりました。

明治41(1908)年に、この明神様は崩山に移されましたが、
誰が名付けたのでしようか。

何時しかこの比翼塚のことを人魚塚と呼ぶ様に成ったのです。